子供のころ小学校に通っていたころまで我が家は普通の家よりも貧乏だったと思います。父はプライドの高い人で市役所に勤務していましたが、上司などとうまく折り合えずずっと平のままでした。その割に母に仕事をさせたがらず収入はとても低かったのだと思います。
それでも自分が小学校でも膝などに継ぎあての付いた古いズボンを履いていて、それが自分だけでも別に恥ずかしいとも思わずに平気でした。それでも給食費の支払いが近づくと我が家に漂う緊張感が何となく不気味に感じたことがありました。母はそれが払えないかもしれないという不安が常にあったようです。
それでも貧乏は貧乏なりに幸せな子供時代だったように記憶しています。家族が何となくではあるけれどまとまって仲良く暮らしていけたからなのかもしれません。貧乏だから、贅沢な食事が全くできないから、家に電話もお風呂も無く車も無く、おもちゃも遊び道具も貰い物が多くても、人は幸せというものを感じることはできるように思います。
飽食の時代、情報過多で全家庭がほぼ中流というこの日本社会の中で、確かに貧乏している人たちも数多くおられると思います。しかし貧乏=悪=不幸ではないように思います。人の心が他の人の心としっかりとつながっていれば、そこには不幸などというものは入り込めないのではないかなと思います。大切なのは心と心の繋がりがどこかで実感できる社会が充実していくことなのかもしれないなぁと思います。
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