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2006年08月13日21:40

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太陽

昨日のシネパトスは満員御礼。立見だった。
もっとも立ちんぼではなく地べた座りで見たけれど。
http://taiyo-movie.com/

老若男女、さまざまな人が押しかけて来ている。
それぞれの関心の元は何なのだろう。
私はと言えば、それはやはり昭和天皇が主役という作品が
どんなものだか見ておきたかったということ。
日本では考えられない企画だと思うから。

映画は徹頭徹尾、天皇の孤独さを描こうとしているように思えた。
一人きりの食事、一人きりの思考。
けれどまったくの一人きりにはしてもらえない。
着衣ひとつに至るまで、常にかしずく侍従たち。
「お上(かみ)」と呼ばれ、生身の体を「玉体」として扱われる
逃れようもない不自由さ。
その運命を受け入れつつ、深いため息をついているような姿。
立っている場所が全然違うから、御前会議での会話は
まるでかみ合っていない。
この孤独感に息苦しくなってくる。
ある意味囚人のようにとらわれた存在。
ひくひくとうごく口元や、後ろ手に組んだ指の動きは、
知性を秘めたものぐるひのようにも見えた。

マッカーサーと会っている時が楽しげだったのは、
侍従もついてこれずまったく一人で、
母国語ではなく英語でしゃべっているからなのだろうか。
「子どものようだ」と言われてしまうのも無理はない。
まるで世間知らずの、無邪気な、子どもっぽいふるまい。

それはそれで可哀想だと思う。
けれど、本当に、庶民とはまったくかけ離れている世界に
むなしくなってくる。
爆撃の悪夢を見てうなされても、それが何だというのだろう。
一般国民は本当の爆撃にさらされているのに。
この結界の中に、現実の無残は絶対に入ってこないのだ。

イッセー尾形さんの造形は見事だったし、
佐野史郎さんの侍従もとても雰囲気があった。
桃井かおりの皇后も、思ったよりさまになっていた。
けれどそれだけでは割り切れないような。
良くも悪くもやっぱりロシア映画だとひしひしと感じた。
日本の俳優で、日本の風景をあらわしてはいても、
映画の空気、質感、世界の色合いが違う。

詩的で哲学的な作品ではあるけれど、
進駐軍からのハーシーチョコレートのプレゼントのくだりや、
写真撮影のおどけたような姿には、
たくまざるユーモアがあって、場内もよく笑っていた。
ただ、ハリウッド俳優のブロマイドを眺める姿や、
皇后の胸に顔をうずめる天皇の姿は、やはり違和感があった。
それは西洋的発想のような気がする。
日本人の感覚としてはどうにも落ち着けない。
来ている人たち一人一人に、「どう思われましたか?」と
聞いて回りたいようなもどかしい気持ち。

それはさておき銀座シネパトスという場所は絶妙だったかもしれない。
晴海通りの真下に位置し、道の両側から階段で下ってゆく、
あの通路は昭和そのままという風情。
小さめの劇場は、静かな場面だと、
上を走る車の音がゴーッと聞こえるので、
地下の退避壕の場面など、臨場感があってどきどきした。
最新のビルなどに入った劇場より、ずっとふさわしいと思う。

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