私が子供のころというのは昭和40〜50年代のころになります。そのころは近所中を走り回って遊んでいました。他人の家のブロック塀の上を忍者になって飛び回り、町内の廃工場に潜り込んで砂鉄を集めまくり、川へ行っては釣りをしたり川の中の泥鰌の姿を観察したり、虫取りに草の生い茂った空き地を走り回ったり、何しろ子供の遊ぶ場所は山ほどありました。
そういう遊びが身体の発育を十分に促していただろうということは間違いないと思います。ほとんど大きなけがもせず、病気にもならず遊びまくっていました。それは中学生になるくらいまで続いていたかもしれません。
今思い返すとしっかりと何かに守っていただいていたと感じます。木や塀から落ちそうになったのを何かに支えられたような記憶が何度かあります。何故落ちなかったのだろうとその時は不思議に思っただけでした。子供たちというのはやっぱり何かに守られているのだと思います。
先日も三日間も山の中をさまよった幼児が無事に見つかった事件がありました。守られている力が強かったのだろうと思います。見つけた方もあれは間違いなく守られている力の強い方です。霊的に強い方というのは本物に近ければ近いほど「清貧」という位置を守られています。
変な話ですが、お賽銭というのは穢れた金銭というものを神様仏様に捧げて自らの魂を浄化していただく行為だと聞きます。お金を得ることを悪いことだとは言いませんが、必要な分だけを頂くということに徹していると守られる力が強くなるように思います。子供たちが守られているのと同じように思います。
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