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2014年09月07日22:54

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「赤い靴」と「誕生日の子どもたち」(『Lost Memory Theatre』老婦人独白)

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あたしの父はね、街で一番の歌手だったの。
生活の中にはいつでも音楽があったわ。
あたしはダンスが大好きだった。
特に、父の歌に合わせて踊るのが。
あたしはいっつも踊ってたわ。
(赤いトウシューズを出して)
これがね、あたしのお気に入りの靴。
裕福な医者だった父が、
あたしのために外国から取り寄せてくれたの。
あたしが踊ってばかりいるので、
やがて近所の人たちが噂するようになった。
あたしはそれが嬉しくて、わざと窓のそばで踊ったわ。
みんなに見えるように。
街の男の子たちがたくさん集まって、
いつもあたしを見てた。
みんな、あたしに恋してた。
でもあたしはそんな男の子たちなんか
眼中にないって顔をして、踊り続けた。
母はあたしに焼きもちをやいて、
いつもヒステリーをおこしてた。
でもあたしは、街一番の札付きだった父が、
警察のお世話になった時も、おかまいなしに踊り続けたわ。
あたしが十歳になった時、
有名なバレエ団のオーディションがあったの。
あたしは完璧に踊ったわ。
拍手喝采。見事優勝して、
晴れてあたしは街を出て入団することになった。
街一番の軽業師だった父も、
あたしに恋してた男の子たちも、仲間を連れて、
みんなでバス停に見送りに来てくれた。花束を持って。
あたしの未来は完全に開かれた!
その時なの、赤い天使があたしの前に現れたのは。
「お前はずうっと踊り続けなければならない。
お前の顔がしなびて骸骨になるまで一生踊り続けて、
みんなの晒し者にならなければならない」
あたしは怖くなって逃げ出した。
みんなの叫ぶ声がした。
その時なの、バスがあたしを轢いたのは!
あたしは両足を失った…
どう、笑えるでしょう?あたしの人生。
…天使…
何だったのかしら。あの時の天使って…
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*註)記憶による書き起こしなので、
 多少の違いもあることをご了承下さい。

森山開次さんが押す車椅子に乗って、
ここで初めて舞台に登場する
江波杏子さん演じる老婦人の、奇妙な自分語り。
悲劇なのに、突き放したようなドライな口調。
”父”のイメージだって二転三転しているし、
どこまでが本当なのか、
それとも全部嘘っぱちなのかもわからない。
なんとも強烈な印象だった。

赤いトウシューズ。足を失った踊り子というモチーフからは、
有名なアンデルセン童話の「赤い靴」を連想せずにはおれない。
この童話を基にしたバレエ映画『赤い靴』もあるからなおさらだ。

アンデルセン童話の「赤い靴」はとても怖い。
貧しいけれど綺麗で可愛い少女カーレンは、
お金持ちの奥様に引き取られ、綺麗な赤い靴に惹かれて、
虚栄心が芽生え、信仰心や謙虚な心がおろそかになり、
赤いひげの兵隊と天使の言葉に呪われて、
赤い靴が脱げなくなって、ずっと踊り続けざるを得なくなる。
とうとう、首切り役人に頼んで、靴ごと足を切り落としてもらう。
どうしてここまでひどい目に合わねばならないのか、
読み返しても胸が痛んでしまう。

もうひとつは、カポーティの短編「誕生日の子どもたち」。
(短編集『夜の樹』所収)
冒頭、小さな田舎町に母と二人で引っ越してくるミス・ボビットは、
十歳ながら綺麗で大人っぽく、毎日くるくると踊っていて、
複数の男の子が彼女に夢中になっていつもその姿を見つめている。
そしてアマチュア・コンテストで見事に踊って優勝し、
紆余曲折ありながらも、街を出ていくことになって、
男の子たちは悲しみながらも彼女に大きな花束を作る。
そしてその花束を見て駆けて来た彼女は、
あっけなく午後六時のバスに轢き殺されるのだ。
間違いなく、この独白のテキストの下敷きになっていると思われる。

「カポーティの短編を読んでいると、
親に見捨てられた子ども、暗がりのなかに取り残された子どもを
イメージしてしまう」と訳者の川本三郎氏は解説に記している。
「暗く、冷たく、内向的なものが多い。
狂気、無意識の闇、生きる恐れ、都市の疎外感、
オブセッション(妄執)といった人間の心の負の部分にこだわる。
孤独壁の強い人間が観る白昼夢のような、
現実とも夢ともつかない淡い幻影の作品」
という形容は、LMTの世界観にも通じる部分が多く、
他の場面でもイメージが重なっている気がする。
細かくはまた項を改めて触れたい。
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