＜城ヶ島界隈の史跡＞
台向ヶ崎から乗ったバスは、
すぐに先ほど降りた城ヶ島大橋のバス停を通り過ぎる。
白秋の詩による歌で有名な城ヶ島は観光コースとなっていて、
三崎口からそちらへ向かう路線バスは本数が多いようだが、
残念ながら今回の行程で、そちらに立ち寄る余裕はない。
詩人・北原白秋は、大正2年に家族とともに三崎の向ヶ崎に移り住み、
この地を詠んだ詩を多く残している。
雨はふるふる、城ヶ島の磯に、
利休鼠の雨がふる。
雨は真珠か、夜明けの霧か、
それともわたしの忍び泣き。
舟はゆくゆく、通り矢のはなを、
濡れて帆上げたぬしの舟。
と続く『城ヶ島の雨』には、
今もバス停の名となっている「通り矢」の地名も詠み込まれているし、
城ヶ島に渡れば白秋記念館が建ち、白秋の歌碑を辿るコースもあるとか。
先ほど行き来した宮川湾に沿った道路沿いのさみしいあたりにも、
「八景原」を詠んだ白秋の短歌と、
昔は城ヶ島や油壺よりも有名な景勝地だったという説明板があった。
遊女が身を投げたという崖があり、供養塔が立っている。
いつか機会があれば、詩歌をたどる道も歩いてみたいものだ。
海35系の次のバス停は「椿の御所」という歴史を感じさせる名。
鎌倉に幕府を開いた源頼朝が、海辺の景観の優れた三浦の地に
「桜の御所」「桃の御所」「椿の御所」という三つの御所を設け、
四季の花の美しさを愛でたということで、
このバス停からすぐ近い大椿寺が、その「椿の御所」の跡だという。
（「桜の御所」は本端寺、「桃の御所」は見桃寺[けんとうじ]）
お寺さんがやっている幼稚園は「椿の御所幼稚園」という素晴らしい名。
名前の由来というのは、歴史そのものだなあとつくづく思う。
さまざまな思いにふけっているうち、バスは北条、日の出、仲崎と進み、
終点ひとつ前の三崎港でかなりの乗客が降りて行った。
＜三崎港から東岡町＞
実をいうと私もここで降りようかどうか迷った。
終点は次の東岡町で、そちらの方が次に移動する三崎口行きへの便が多いのだが、
良い風情の建物がたくさんあって、素通りするのは勿体ないような。
港町というのは、潮風にさらされて錆びたトタンなど、
どこも独特のすがれた味わいがあって被写体として魅力的な場所が多い。
迷っているうちに、バスはさっさと終点の東岡に向かって坂を上って行った。
その道筋にも、ちいさな昔ながらの本屋さんや古いタバコ屋さんなど、
そそられるような建物ばかり。これはやはり見逃す手はない。
東岡着は思ったよりすぐだったし、結局そこからまた三崎港まで引き返して、
目に触れるものを続けざまに撮りまくった。
道からひっこんだバス乗り場に面した石垣も年代を感じさせるし、
ちょっとコロニアル建築を思わせるような木造もある。
古いタバコ屋さんというのはどこも間違いなく素敵。
細かいタイルがたまらない。
錆びたトタンにびっしりと緑の蔦がからまっている廃屋。
ゆるくカーブする下り坂に次々とそんな景色があらわれて、
私にとっては猫に鰹節！ああどれもこれも良いなあ。
ぽつんと建った黒塗りトタンの小屋だの、
「マンション柳」という茶色いタイル貼りの建物一階の
白い窓が並ぶ「貝がらホール」の愛らしさ、
「カギ110番」のお店の柱に付けられた鍵型のオブジェと縞模様の日除け、
”三浦市内教科書特約店”と看板に掲げられた小さな「さくま書店」など、
歩をすすめる都度シャッターを切ってしまう。きりがない。
坂を降り切ると、先ほど目にした三崎港のバス停。
ごく小さい三崎公園の周りがロータリーになっていて、
ここにも古めかしい瓦や蔵を備えたお店が並ぶ。
「長者盛」という酒の名を赤文字で浮き出させた看板が目立つ山田屋酒店の他、
ちょっと見回しても年代物と思える瓦屋根のお店、洋品店など目白押し。
ああ、フィルム一本使い切ってしまった。
入れ替えたあと港付近を改めて見れば「まぐろ」「まぐろ」「まぐろ」と、
とにかくまぐろの文字が大きく踊った幟が多い。
ここが全国有数の水揚げ場所だということを実感。
中華まんではなく「とろまん」を売っているお店もあり、直売センターもある。
魚をたっぷり食べることを目的に来ているひとも多いんだろうな、
（というかそちらが普通か）と思いつつ、再び坂を上って三崎東岡のバス停へ。
三浦市の中心部は、半島の真中ではなく、一番先っちょのこのあたりなのだ。
港から東岡までのこの道筋に、市役所も体育館も図書館も集中している。
駆け足で戻り、なんとか13時15分発の三崎口行きに間に合った。
本当はここからソレイユまで直行したいところだが、
三崎東岡からの直行便は朝8時台の一本しかないので、乗り継いでゆくしかない。
＜三崎口を経てソレイユの丘へ＞
三崎港と京急の三崎口駅を結ぶこの路線は、主要幹線という感じらしく、
本数も多いが乗客も多く、車内はみっしりと混んで立ち通しだった。
距離はそれなりにあるものの、のんびりムードの海35系と違ってずんずん進み、
15分くらいで三崎口に着く。
起点終点となる駅ではあるが店など何もない。
ソレイユの丘行きの三56系の時刻表を見てみると、
次の13時45分発に間に合うので一安心。
さすがに手持ち水筒の飲み物も底をついてきたので、
駅コンビニで飲料を購入。
バスの発車を待つのは、やはり親子連れが多い。
「ソレイユの丘」のソレイユ（Soleil)とは、フランス語で太陽のこと。
横須賀市長井の相模湾、富士山、湘南をのぞむ風光明媚な台地を、
温暖な気候で緑と海にかこまれた南仏プロヴァンス地方に見立て、
石畳の道や煉瓦造りの建物が作られている。
街、村、水、牧場のエリアがあり、中にある牧場で動物と触れ合ったり、
農業体験が出来るような、体験型の広大な公園。中には入浴施設まである。
http://soleiljapan.hotels.officelive.com/map.aspx
元々は旧帝国海軍の航空基地だった場所で、戦後は米軍施設となっていたのが、
市に返還された後しばらく、航空自衛隊の無線標識所として利用されていたとか。
出来たのは2005年4月というから、まだ割と新しい施設。
こんなことで訪れることになるとは思わなかった。
とはいえ、私にとってここはあくまでその近くだというロケ地の目印。
はたしてすぐにそちらへ辿りつけるかどうか保証はない。
期待と不安を胸に乗り込んだバスは、直行だけにすいすいと進み、
遠くに煉瓦の教会のような建物が見えるなあと思ったら、もうそこが公園だった。
三崎口から15分ほどで入口に到着。
＜レーダーと農道＞
バスを下りるとまず広大な駐車場が見え、まぶしさにくらくらした。
びっしりと並んでいる車のガラスが照りつける陽射しに反射しているのだ。
大型の観光バスも見えるが、ここはマイカーで乗りつけるお客さんが殆どなのだろう。
駐車場は1500台収容することが出来るらしい。眩暈がしそう。
入園無料（イベント別料金）の入口から親子連れがどんどん入ってゆくけれど、
私の目的はここではないので着いたと言っても道半ば。まだ気が抜けない。
とりあえず園内のトイレを借り、のどを潤したあといざ出陣！
頼りとするのは、『ドラマロケ地案内』の記述のみ。
http://location.la.coocan.jp/mother2010.html
・手紙を渡して別れたところ→航空自衛隊レーダー基地の南東付近
・継美が立ち止まってインコの様子を見たところ→ソレイユの丘の北側
えーと。レーダー基地ってどこなんだ。北側ってどっち？
さすがにやや疲れ、暑過ぎて頭が全然働かないので、
入口前の車の流れを誘導している方に方角と基地のことを尋ねてみた。
幼児並みの質問でお仕事を邪魔して申し訳ない。
「北はこっちです」と駐車場の方を示し、
「レーダー基地はあそこです」とその先のはるか彼方を指されるので、
えええーっ！遠いよーと思うそばから、「あれもそのひとつですよ」と、
ソレイユの丘の並びに立つ高い鉄塔を示された。
それは殆どソレイユの一部と言ってもいいような位置。
あとで調べてみると、最初に指されたのはだいぶ先の御幸浜にある
武山（たけやま）駐屯地のことだったらしい。
公園のすぐそばにあるのはその飛び地のレーダーサイトだとか。
この場所がもともと軍の基地だったことを思い起こさせる。
良かった。あそこなら歩いてもすぐそこだ。
ドラマ画面で継美が立つ農道の背景に見える鉄塔は、
あれと思ってまず間違いあるまい。
目星がついたことに力を得て、入園ゲート前から今バスで来た道のほうへ向かった。
園スタッフの方には謎の客と思われたに相違ない。
＜農道へ＞
園を区切る柵に沿って、車道沿いの歩道を行く。
道はゆるやかな上り坂で、途中から下る。
レーダー基地の鉄塔が近付いてくる。傍で見ると相当巨大なもの。
視界の右手にソレイユの丘が大きく広がり、緑が一望出来る。
その向こうにきらめく相模湾。気持ち良く雄大な眺めだ。
車道の左手には、てっぺんにこんもり緑が見える小高い丘。
そこに通じる細い農道が見える。
鉄塔の位置関係からしてあのあたりかな、とは思ったものの確信は持てない。
そこは私道めいてあまりに狭く、観光客ごときがうろうろするのはためらわれる。
周りの畑でぽつぽつ農作業している方たちに見とがめられたらどうしよう、と
小心者の考えでそこは上らず、車道の交差点まで行ってから左に折れ、
畑の見える丘をぐるりと回りこんで見た。
こんもりした緑の近くには、サイロのようなものが見える。
畑の緑と大空と白い雲。ここだけ映せば確かに北海道と言っても通るだろう。
本当にひろびろと余計なものがないところだなあと思いながら歩を進め、
この丘の真ん中を通る農道が下りきって車道と交わるところではっと立ち止まった。
ここだ！間違いない！！
この角の、コンクリートで固めたところ。
継美がここまで送ってくれた友達と母親を見送り、園への道を歩き出す場所。
同時に、奈緒が継美に手紙を渡して踵をかえした場所。
遠くレーダー鉄塔が見える。
あの最後の継美と奈緒のやりとりは、農道のこちら側からこの向きで撮ったのだ。
ここで別れた友達たちは、私が今来た車道を去って行ったのだと分る。
車道とはいえ交通量は少なく、がらんとした道路は電信柱と電線ばかり目立つ。
ああ、ここだったんだなあ…
季節は移り、撮影時にいっぱいの緑が揺れていた畑は、
もう収穫を終えたのか、土ばかりが広がっているところが殆どだったけれど、
この細い狭い道で、二人は言葉を交わし、抱きしめ合い、別れたのか。
胸がいっぱいになる。
間違いなくここだ、と分るとやはり歩いて見たくなり、
さきほどまでのためらいがふっとんで、農道を上りつ降りつしながら、
色んな角度で撮影してみた。
もちろん農作業の車や人が通るようなら、すぐ身をかわせるよう注意しながら。
だんだん大胆になって、てっぺんのほうまでも上ってみた。
サイロもどき（出入り口が見当たらなくてオブジェめいている）の脇の、
こんもりした丸い緑の近くには、史跡の説明板らしきものが見える。
史跡なのだとすると、別にここは出入り禁止じゃないんだろうな、
とちょっと安心して傍に寄って見ると、
「経塚」という名称と、長井寺はかつてここにあったということが記されていた。
塚の名のいわれは、永正13年（1516）三浦義同と北条早雲が戦った時、
義同の家臣の別覆（べべ）坊がここに経巻を埋めて逃れたということらしい。
ただ、最近の調査では経文は出ず、前方後円墳ではないかと考えられているとか。
あとで調べてみたが、長井寺は現在、もう少し海寄りの長井6丁目にあるようだ。
ここはこの丘のピークなので、海までもよく見通せる。
目的を果たした安堵感もあり、しばらくぼうっと風景に眺め入ってしまった。
さしも暑かった陽射しも、3時を回ると少し傾き出し、
まだ時間に余裕はあったが、ロケ地めぐりゴールの達成感を胸に、
ソレイユの丘3時35分発の三崎口駅行きバスに乗り、一路帰途に着いた。
＜その後気付いたこと＞
帰宅したあと、さらに情報を補足するために色々調べていたら、
三浦半島のすばらしい景色の写真をいっぱい載せているブログを見つけた。
http://miulab.blog92.fc2.com/blog-entry-164.html
ああ、あの農道近くの経塚も載っている、と見入っていると、
なんとあのサイロもどきの上にある窓は、描かれた絵だと書いてあった！
それじゃ完全に芝居の書割みたいなものじゃないか。
ソレイユの丘HPのマップを見直してみると、
このあたりは「見晴らしの丘」と記され、サイロらしき絵も載っている。
ここはソレイユの一部として、雰囲気を出すために作られたのかしら？
さらにそのブログ記事の「和田長浜」の海岸写真にはっとした。
この海岸のライン、奈緒と継美がバス停に降り立つ前のカットとなる、
海辺の風景と同じなんじゃないか？！
画面上では流木があり、曇天でいかにも寒々しい北の海のように見えたけれど、
ここでロケしたものではないかと思われる。
和田長浜ってどこかにも出て来たなあと、記憶をたどって
「ロケ地ガイド」を見直してみると、第8話のロケ地として出ていた。
http://loca.ash.jp/info/2010/d201004_mother.htm
→075 和田長浜海岸（三浦市初声町和田）
・道木仁美が道木怜南をおいて帰ろうとした海
第8話の室蘭のシーンは殆ど三浦市ロケだったことは漠然と覚えていたが、
仁美の場面には関心が薄かったので、突っ込んで調べていなかったのだ。
なにしろ8話は”仁美さんこれまで物語”というか、
”いかにして彼女は虐待母となりしか”のストーリーなので、ちょっと辛くて。
でもこの奈緒と継美の別れを描いた最終話に差し挟まれた
イメージショットにも使われたのだったら、見ておいても良かった気がする。
ちょっと距離はあるけれど、一応ソレイユの丘の南東側の海岸なのだ。
でもバスなどの路線はないから、自力で行くのは大変かも。
ここではいろんなドラマのロケが結構行われているらしい。
行って来た場所を再確認するため、最終話の最後のあたりを見ていて、
もうひとつ気付いたこと。
二人がそれぞれの方向に向かって走り、歩み出した最終場面で、
エンディング曲『泣き顔スマイル』が流れ、
エンディングロールの”脚本 坂元裕二”という文字が画面に出るあたりで、
坂の向こうから、走ってくる継美がせり上がるように見えてくる道は、
もしかしたらソレイユの丘の柵沿い、車道の隣の歩道部分かもしれない。
画面端に見えている木が、車道との境に植えられていたものと同じような気がする。
細い道だというイメージだったのだが、たとえ広い車道に面していても、
フレームの切り取り方次第で、単独の道に見せることは可能だろう。
見覚えがある気がする街路樹の写真でも撮っておけば良かったのだが、証拠はない。
近ければすぐにも確認し直しに行くところだが、さすがにそれはちょっと。
気になるなあ。
それにしてもつくづく『Mother』はオールロケに近い映画的作品だったと思う。
三浦半島の広大さ、ドラマの奥深さをつくづく感じた一日だった。
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