mixiユーザー(id:949383)

2009年08月22日08:22

490 view

ドリアン・グレイの肖像(初日)

8月21日19:00〜 世田谷パブリックシアターにて観劇。
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2009/08/post_159.html

山本耕史くん久々の舞台。しかも数年ぶりのストレートプレイ。
どんなものになるか細かいところは予想がつかず、
大変な緊張感で劇場に入った。私がやるわけでもないのに。
初日独特の昂りだけれど、緊迫感は最後まで続いた。

オスカー・ワイルドの原作はむろん読んでいる。
この作品がさまざま映像化、舞台化されていることも知っているけれど、
生の舞台で見るのは初めて。
耽美派宣言をしたスズカツさんがどのようにこれを料理するのか、期待と不安半ば。

率直に言って、予想通りだった部分と予想と大きく違った部分と両方。
今までの演出舞台を拝見していて、
ストイックにそぎ落とされた、シンプルな舞台だろうとは思っていた。
具象的であるよりは徹底的に抽象的。精神的。
物語のキーとなる、変化していく肖像画などあえて出さずに、
登場人物のリアクションで表現するのではないかという予想は当たっていた。
黒っぽく立体的な舞台装置は、一昨年グローブ座での演出作品
『欲望という名の電車』に通ずるものがある。

意表をつかれたのはドリアンの造形。
他に伝手がない分、原作を読み込んでイメージをふくらませていたので、
私にとってヘンリー卿と初めて会うドリアンは、
天使を思わせる、薔薇の花のごとき美青年だったのだけれど、
舞台に現れたのは、非常にクールで大人っぽい青年だった。
意図的につくりこめば少年のようにも出来るはずだけれど、
どちらかというと演者と等身大の、きちんと意思を持った人物。
無垢で何も知らない青年が、ヘンリー興の影響を受けて、
快楽を知り、悪に染まってゆくという感じではない。
自分にとって必要なものを見定めて、それを選択してゆく感じ。

シビルへの愛想尽かしの台詞は、まるでナイフのように鋭かった。
初めての恋人にこんなことを言われたら、彼女は死ぬしかないだろう。
彼の一挙手一投足から目が離せず、劇場中が固唾を呑んで見守る緊迫感。
前半でこうなっては、幕間を挟んだ後半でどんな悪人となっていくのかと思いきや、
意外にも、そのあとのほうが、ドリアンの純粋さを強く感じた。
亡きシビルそっくりの女性ヘティを追いかけてゆく、
飛び立つばかりの駆け寄り方(原作にはない場面)。
自らの人生に苦悩するその表情、姿。
長い綺麗な指が空をつかんでもがく。
結局彼は、悪を悪と知らず思うがままに動き、
あとになってそれに気づいて苦しむ、可哀想なひとに思えた。

はっきり言って重たい作品だし、気持ちの解放感はない。
でも彼の表情の細やかさ、身体能力の高さはやはりすごい。
ことに最初と最後、肖像画を切り裂くパントマイムは圧巻で息を呑んだ。

共演者では、加納さんのヘンリー卿が素晴らしい。
なんともいえない飄々とした味わい。
あの哲学的な滔々たる台詞が、実にすらすらと耳にはいってくるのがすごい。
ドリアンの最後を見る場面にも、軽い驚きを感じた。
でもぴしっと締まった感じで良かったと思う。

ぐるぐると回り続ける舞台装置は、迷宮のようでめまいを感じる。
服装やメイクは思ったより普通。
ヘンリー卿はともかく、ドリアンやバジルは現代とそう変りない。
個人的にはもうすこしひらひらしていてくれても嬉しかったのだが。
ドリアンの銀髪の長い髪は異界のものめいていて良かった。
『エリザベート』の死神トートを思わせる。
耕史ファン的には、公開が待たれる映画『彼岸島』の雅をも連想。

カーテンコールでは、何度目かの出で、連獅子の髪洗いのごとく、
銀髪を振ってみせたのに、思わず笑った。
役を離れると、むきたての卵のようにつるんと愛らしい表情。
つい先ほどの苦悩のドリアンはどこへ。
彼は本当にガラスの仮面をかぶっているのかもしれない。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2009年08月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記

もっと見る