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2009年07月19日13:55

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「陽炎の辻3」第十回<二人の行く末>(7月4日)

*演出 清水一彦

<原作出典とオリジナル部分>
おこんが木幡闇斎の手に落ちて人質となるのは、
原作第二十巻『野分ノ灘』第五章「遠州灘真っ二つ」。
もっとも原作の木幡丹次闇斎は、磐音とおこんを乗せた関前への船に
ひそんでいた刺客なので、状況は大幅に異なる。

磐音と吉原会所の四郎兵衛の尽力のおかげで、
鶴吉が聖天町にめでたく三味芳の看板をかけることになるのは、
二十四巻『朧夜ノ桜』第四章「三味芳六代目」。

関前の父から磐音へ、養子話への返事の書状が届き、
それに応えておこんともども関前に一度帰る決意をするのは、
第二十巻第一章「紅薊の刺客」と第二章「夏の灸」。

品川柳次郎が椎葉お有の家に招かれるのは、
第二十三巻『万両ノ雪』第二章「安永六年の島抜け」。

引っ張り続けだったおこんの揺れがようやくおさまり、
覚悟が定まったのでほっとした。
このままじゃどんどん嫌いになるところでした。

<第三シリーズの巧みさ>
今シリーズはだいたい二話連続の前・後編仕立てで、
メインエピソードがおさまるようにつくられていると思う。
たとえば「牙むく敵」(第五回)「生か死か」(第六回)は
家基様の鷹狩警護の前・後編だし、
「不覚」(第七回)「剣客の運命」(第八回)は
刺客の四出にやられたあと、決着をつける前・後編。

だから大事な役どころのゲスト俳優は、二回連続登場。
今回は第九回を受けてまとまる回だから、ゲスト俳優は前回と同じ。
もちろん次への伏線は随所に張ってある。
第二シリーズに比べ早送りの感じがなく、落ち着いてみられるのは
こういうまとめ方の上手さにもあるのだろうか。

<ドラマのおこん及び周囲への文句>
ながいながい逡巡を経て、ようやく本筋になってきたようだから、
一安心だけれど、ドラマのおこんの行動には苦言を呈しておきたい。
刺客のあとをつけていくなんて、あまりに配慮が足りない!
幸い相手がそう非道な人間ではなかったから良かったようなものの、
貞操の危機や命の危険は十分考えられるわけで、
磐音や金兵衛さんや今津屋の人々にどれほどの心配と迷惑をかけるか、
全然思い至らずに行動するなんて論外。
これではいつぞやの幸吉くんとまったく変わりない。子どもそのもの。
幸吉と同じように、駆け付けた磐音にぱしんとひっぱたかれてもおかしくない。

それなのに「あやまらねばならぬのはそれがしの方です。
おこんさんを危ない目にあわせてしまい申し訳ござらん」なんて、
磐音のほうが頭を下げ、彼にすがって泣くなんて全然納得できません。
そもそも彼女が勝手に職場放棄して、ふらっと出て行ってしまったことは
誰も責めないのでしょうか。雇われている人間としての自覚は?
遅くまで話し込んでいたのも、刺客のあとをつけたのも彼女の身勝手。
そこは素通りで、皆して磐音を責めるのは理不尽。あんまりだと思う。

<へべれけ金兵衛さん>
金兵衛さんの芝居はいつでもハズレなし。
冒頭の酔っ払いぶりの可愛らしさは落語を聞いてるようで絶品!
普段首に巻いてる襟巻を頭の横っちょで結んでいるのは病鉢巻のつもりか。
(まさか助六を気取ってるわけじゃあるまい)
何度も何度も同じ話を聞かされたであろう親分が合いの手を入れるたび、
「あれ〜?あれ〜?お前なんでそんなこと知ってんの?地蔵のよ」
と、相手の坊主頭をなでなでするおかしさ。
完全にへべれけ状態でくだをまいているのに、
地蔵の親分は辛抱強く相手をしてやっててえらいなあ。
おこんを探しに長屋に姿を見せた磐音に対して、
「あらわれやがったな〜 このすっとこどっこいが」なんて
言いたい放題だったのに、おこんのこととなると一気に酔いも飛んで、
磐音に迫り、なじり、かきくどき、すがる。
愚かしいけれど、このひとは本当に憎めない。

<敵方と殺陣>
今回の木幡闇斎は原作とはかなり違っている。
飲み続けで、おこんにつけられているのも気づかぬようでは、
それほどの凄腕とも思えず、半ば投げているようにも見える。
なんとしても勝たねばならないような気迫はない。
雑賀泰造はどうしてこの男を選んだのだろう。
あまり役立たない者を揃えるより、自身が乗り出したほうが良さそうなのに。
磐音を呼び出す矢文「小石川片町大善寺 恋しきお方がお持ちおり候」
の文句も何となく遊び心が見えて、思わずくすりと笑ってしまった。
凄味がありそうなのに、どことなく間抜けというか。

境内の青い背景のなかで刃の交差が飛ばす火花。
ある種定番となった、車輪に回して回して、合わせる殺陣。
久々の清水さん演出は、やはり半眼峰返し後に波動あり。
合わせるたびに飛ぶ火花も派手。
それにしても木幡が「居眠り剣法とはそのことか」と
目を閉じてしまったのには驚いた。
磐音も同じく目を閉じた時、飛んできた手裏剣は雑賀泰造の援護射撃だが、
磐音を倒せなかった木幡は、結局彼の手裏剣でやられてしまう。
これは後々も見せるはずの、雑賀の非情さへの伏線か。
姿を消す際の時空のゆがみが不気味だった。

<鶴吉夫婦>
「こっちで店を出すって約束で連れてきたんですがね。
手頃なところがなかなか見つからず、このままじゃ埒が明かねぇから
相良に戻ろうかってつい口が滑っちまって」
「だってお父っつぁんに何て言い訳するんですか。
内々だけど杯事までしてもらって来たってのに、
このまま帰るんじゃ情けない」

やってきた磐音の前での口喧嘩。これも落語の夫婦さながら。
磐音の手前面目なく、焦って目を泳がせる鶴吉の
「泣くなよ!分かってるって。
だからつい口が滑っちまっただけなんだからさ〜」という口調は、
ずいぶん軽く聞こえて、あららと思ってしまった。
もっとクールで出来る印象だったのに、鶴吉さんてこんなキャラでしたっけ。
なんとなく「プチかげ」の柳次郎化してるような。

磐音のおかげですべて丸くおさまり、めでたしめでたしだけれど、
「女子の気持ちは揺れ動くもの。
それをつなぎとめるのが男の務めです」と言う台詞にひやっとした。
それは自分が言われたそのまんまじゃないですか。
受け売りをそのまま言うような磐音じゃないのだが、と思う所へ
「磐音の言葉、お佐紀の受け売りである」とナレーションの駄目押し。
苦笑するしかない。これもちょっと違和感あり。
磐音はそんなひとじゃないはずですけどね。

<由蔵の涙>
原作とドラマでは、磐音とおこんの身の振り方について、
吉右衛門や由蔵がみせる態度がずいぶん違い、かなりの抵抗を見せている。
どうして原作のように出世だと認め、喜んであげないのかなあと思ったけれど、
何度か見返してみると、その気持ちも分るような気がしてきた。
ドラマでは人情の部分がリアルに描かれているのかもしれない。
御出世めでたい!と諸手をあげて喜ぶ原作は昔話のように明快で分かりやすいが、
おこんの成長を間近で見てきた由蔵は、半分父親のような気持で、
彼女が違う階級に行ってしまうことが辛いのだろう。

「この今津屋にとって大切なひとを、
玲圓先生と速水様というお武家に、取られるのでございます!」
と、自らの膝を何度も叩きながら繰り出す台詞は激しい。
「しかしこれは、お目出度い、ことなのでございますよね、はい。
目出度い、目出度い…」と最後は上を向いて涙をこらえる由蔵に、
おこんのほうも涙ぐんでしまう。
すでに心を決め、今津屋をやめることまで覚悟した彼女の佇まいは
凛としてうつくしかった。おこんちゃんはこうでなくちゃね。

後のおこんと磐音の会話通り、すっかり涙もろくなった由蔵さん。
確かにお佐紀に子が生まれた時には大変でしょう。

<細々雑感>
・冒頭、おこんを探して闇のなかを走る磐音のブレないフォームと、
夜目にも白きうつくしい足が裾から盛大に見えるのが、目に焼き付く。

・小石川片町大善寺というお寺は、江戸切絵図に見当たらず。
目黒の時とおなじく、配慮のうえで実在しない寺にしているのだろうか。

・木幡に向かって「やくたいもないことを」という磐音の台詞、印象的。
前にも聞いたことがあるなと思って調べてみたら、
第二シリーズで尾口にも言っていました。

・柳次郎とお有のゴールも近いようで目出度いですが、
かなり能天気な感じのお有に、色々気を遣う柳ちゃんの組み合わせだと、
彼のほうが何かと大変そう。

・今回のやりとりを見ていると、鶴吉さんもおこねの尻に敷かれそう?
彼女はしっかり者のようですね。

・お佐紀さんは本当に落ち着いて、立派になりましたね。
磐音の母上の気持ちを思いやるのは、やはり母となる者ゆえの配慮か。

・今回、磐音の後ろ向き正座姿が多かったので、
今更ながら綺麗な足のうらをまじまじ見てしまいました。

・「磐音にとって束の間の安らぎの時である」が最後のナレーション。
そう、これからも刺客が目白押しで大変なのです。
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