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2008年04月08日03:14

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眉山(フジTVドラマ・金曜プレステージ)

http://wwwz.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/08-052.html
昨年7月に製作発表され、8月には徳島でのエキストラ撮影にも参加し、
心待ちにしていたフジTVドラマ『眉山』、ようやく4月4日に放映。
(しかしどうしてよりによって、ヘドウィグ再演の初日と重なって
 しまうんだろう。舞台がはねたあと速攻帰宅するはめになった)

<正統派メロドラマ>
『眉山』については、小説も読み、参考のために映画も舞台も見ている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=654227808&owner_id=949383
原作に描かれたのは、あくまで老年に至った龍子さんの
凛とした格好よさで、それは映画や舞台で存分に描かれていた。
病院での啖呵は、ドラマではやや図式的になっていたけれど、
主眼はそこではない。
今回のドラマは原作とは趣を異とする、
若き日の龍子と孝次郎のオリジナルストーリー。
期待通り、実に清潔で古風な純愛物語になっていて堪能した。

常盤さんは端正で清潔な美貌で、同時に可愛らしい少女っぽさもあるし、
耕史くんは徹頭徹尾、真面目でやさしく初々しく、
いかにも育ちのよい、思いやりのある、爽やかな青年。
正統派美男美女の恋が正々堂々と、まっすぐに描かれるのが清々しい。

もともと原作には、若き日の龍子と孝次郎のことは、
なにも書かれていないし、読者の想像に委ねられている。
だからこの追想の物語はまったくの創作で新鮮。
芸者姿の龍子のあでやかな美しさ(芸者の設定もオリジナル)。
だけど生き方はぶきっちょで純情。
信じたひとに騙されて失意の彼女が、
お座敷に出たくなくてつい乗ってしまった東京湾フェリー。
ここでの出会いは素敵だった。

不安定な気持ちそのままに、海に落としてしまった草履の片っぽ。
たまたま甲板に出てきて彼女の窮状に気付き、
手助けする孝次郎のやさしさ、誠実さ。
死にたかったんです、とついぽろっという彼女に
「人間は生きている時が一番綺麗なんです。
 生きていてください」と真剣に言う言葉。
ふいに相寄る心。見交わす目と目。
なんて運命的な出逢い。

恋に落ちる、という感覚をまざまざと思い出した。
出会いは偶然で突然。だけど偶然も重なると必然。
おずおずと遠慮深く、礼儀正しく、でも隠しようもなく
磁石のようにひかれあう力。その加速度。
その時の二人は、誰にも止められない。
「よく見る景色なのに、初めて見るみたい」
それが恋の魔法。

そしてまた、舞台となるのはちょっと古めかしい昭和の時代。
はとバスの東京見物。上野や柴又帝釈天。
私の好きな世界。
質素なアパート、つましい家具類、古びた押入れや天袋。
私自身、こんなふうな部屋に住んでいたので郷愁もひとしお。
彼女のために作ってご馳走した、故郷の郷土料理・かつおの茶ずまし。
扇風機が首を振る夏の夜。窓から見えるニコライ堂。
そんな部屋での、二人の初めての、たった一度の夜。
本当にいじらしく、切ない。

山本耕史ファンとしては、こんなにも素直で純情な恋を
演じてくれるのは新鮮で眼福だった。
「誠実顔日本一」(by江角マキコ@『マチベン』時の土スタ)
である彼の良さが遺憾なく発揮されていたと思う。
白いシャツと黒いズボン姿は、まるで高校生みたいに爽やかだし、
ちらりと出た冬のダッフルコート姿も、こういう役ならではで
可愛い(『ミラクルバナナ』のピーコート姿に匹敵するかも)。

原作には説明がないものの、映画や舞台のほうでは、
二人の恋が実らなかったのは、
孝次郎にすでに奥さんが居て、どんなに龍子のことが好きでも
そちらを捨てることが出来なかったから、というふうに描かれていたけれど、
いかに言い訳があろうとも、その状態で彼女を孕ませるのは
やはり男がずるい、との気持ちがぬぐえなかった。
でもこのドラマ版では、彼はまだ独身で、
きちんと龍子と一緒になろうとするつもりだったのが嬉しい。

せっかく彼女を伴って故郷の徳島に帰ってきたのに、
実家の母が結婚を勧めていた娘さんをもう嫁扱いし、
家族ぐるみで待っていることを幼馴染から聞かされ、
実家に電話して自分の気持ちを説明しようとする彼もまっすぐだし、
それを知って身を引いてしまう龍子も義理堅くて純情。
二人の心ばえの綺麗さに涙が出た。

<音楽からの連想>
テーマ曲として、ずっと流れていたなつかしの映画『追憶』(1973)
のメロディーも郷愁をそそる。これも別れてしまう二人の話だけれど、
本当にノスタルジックな名曲だし、良い映画だったな。
http://www.geocities.jp/yurikoariki/waywewere
もうひとつ連想してしまったのはラブファンタジーとして有名な
『ある日どこかで』(1980)。
http://www.ueda.ne.jp/~peg/
これは昔の時代にタイムトリップした若者と、
その時代の美しき舞台女優との恋。
燃え上がった逢瀬の直後、突然現代に引き戻され、
その後現実には二度と会えないまま最後を迎える。
一度きりの契りを胸に老いてゆく彼女と、
焦がれても再び時を越えられない彼の、切ない切ないラブストーリー。
ラフマニノフのピアノ曲とともに、ジョン・バリーの手になる
甘やかに情感的な主題曲の入り方も、通じるところがあるような気がする。

<東京←→徳島>
このドラマでは、父を亡くした孝次郎が、実家の医院を継ぐために
徳島に帰る直前に龍子と出会うことになっている。
そして彼女と恋に落ち、出来れば一緒になりたいと願い、
徳島へ帰る旅に彼女を誘う。
船で出会った二人が、徳島へも船で向かうのが良かった。
到着した日の阿波踊り会場が、はからずも別れの場となってしまう。
考えれば、この恋はほんの数日の濃密な時間だったのだ。

孝次郎と龍子各々の暮らす場所が、原作とは逆転してるのも、
別のお話なのだということをつくづく思わせる。
原作では、孝次郎は故郷の徳島のことを龍子になつかしく語り、
伴って一緒に歩いたこともあるようだけれど、
暮らしているのは東京・本郷。
彼の篠崎医院は本郷にあるのだ。
龍子は東京生まれの江戸っ子だけれど、
彼と一緒になれない代わりのように、徳島へ渡り、
そこでたった一人で娘・咲子を生み、
ずっと徳島で暮らして来た。
だから咲子は徳島生まれ。
のちに就職で東京に出るけれども、
阿波踊りのリズムが小さいときからからだに染みこんでいる。

翻って、ドラマでは孝次郎は徳島市藍住町の篠崎医院を継ぐ。
身を引いた龍子は、ひとり東京に帰って咲子を生み、
神田で店を切り盛りして暮らす。
徳島に渡ったのは、数年前にガンが見つかった時。
自分の余命を思ったとき、やはり少しでも側に居たかったのだろう。
咲子は事情を知らないまま東京で働き、
母とは離れて暮らすことになってしまった。
結局、咲子にとっては徳島は故郷ではなく、訪問先でしかない。
原作とドラマの設定は、まるでネガとポジのよう。
徳島のひとたちにとっては、わが町の娘ではなくなって、
少し残念かもしれない。

<登場人物の設定>
ほかで目に付いた変更は、龍子を慕う、彼女の店の下働きだった
通称「まっちゃん」と、龍子の世話をする介護士の啓子さんの二人が
ひとつのキャラクターにまとめられていること。
宮崎美子さん、あたたかく人の良さそうな感じで適役。

咲子の恋人も、東京で付き合っている、バツイチの男性という
ことになっていて、龍子の病院の医師と恋に落ちるというのはなし。
ここでも別物。
実を言えば、原作で不用意に患者をないがしろにする発言をして、
龍子に大変な勢いで啖呵を切られ、度肝を抜かれて改心する医師が、
咲子と出来てしまうというのは、ちょっと強引で苦手だったから、
こちらのほうが落ち着いて見られた。
見せ場はあくまで龍子の昔の恋なのだから、刈り込むのは当然。
小市慢太郎さんの、朴訥で誠実そうな雰囲気が良かった。

配役はみな良いのだけれど、ちょっと気になることを言えば、
老年の孝次郎さんは、現在おいくつなのだろう。
昭和51年の出逢いの時、龍子は30ちょっと手前で、
孝次郎はそれよりちょっと若く見えた。
東京に8年居たという台詞は、大学とそのあとの病院勤めとすると、
やはりせいぜい二十代後半。

30くらいで咲子を生んで、その娘が今30ちょっとという龍子さんは
60ちょっとのはずで、それは見ていて異存はない。
でもその計算でいくと、孝次郎さんは60前くらいなのでは。
…にしては、ずいぶん枯れてらっしゃいませんか?
ソフトで真面目で、紳士的な雰囲気はとても好感が持てるし、
孝次郎のその後というのに違和感はないのだけれど、
どうも彼の上に流れた時間が、龍子のそれより格段に多いように見える。
原作でもずいぶんな老け込み方で、それは不思議だったのだ。
色々ご苦労なさったんでしょうか。

<ロケの思い出>
老年になった孝次郎と龍子が阿波踊り会場で、最後に出会う場面は
エキストラとして参加したところなので、感慨深かった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=545775482&owner_id=949383
自分の見ていたコマ切れの撮影が、こういうふうにまとまって、
作品としてかたちになるのを見るのは名利に尽きる。
実際の阿波踊り会場でのカットと、特設場面でのエキストラ撮影の
カットが、こう編集されてつながるんだなあ。

私が参加したのは本当に撮影オールアップの日で、
残念ながら耕史くんの撮影はすでに終っており、
実際に見ていたのは、老年の孝次郎役の山本学さんだったのだけど、
若い孝次郎のイメージがカットバックで入ってくると、
まるでその場にいたように思えてしまう。
学さんのバックに、ほんの数秒ちらりと、それでも確かに
私の浴衣と扇子を確認して、あ、この作品のなかにちゃんと入ってる、
と思って嬉しかった。

実際に町もくまなく歩いたので、あの川べりも橋も見覚えがあり、
川めぐりの船上から撮られたであろう、川の水面のゆらめきなど、
なんだかなつかしくてたまらなかった。藍住町を訪れた時の暑ささえも。
この作品のおかげで、徳島は特別な街になった。
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