mixiユーザー(id:949383)

2007年08月30日03:33

125 view

「眉山」徳島ロケ・エキストラ参加記

<前書き>
さだまさし原作で、この5月映画も公開された『眉山』が
フジTVでドラマ化されることになり、
山本耕史くんが主要な役で出演するというニュースが流れたのは、7月初め。
その時点で原作未読、映画も未見だったので、とりあえず原作は読んでみた。

徳島が舞台の母と娘の物語。
末期がんで入院し、余命いくばくもない母・龍子(たつこ)の過去に
初めて触れ、揺れ動く娘・咲子。
もとは江戸っ子芸者だった龍子は、まことにきっぱりとした潔いひとで、
ひとの命を軽んずるような言葉を口にした医師に向かって
決然と啖呵を切るのが格好よく、やがて哀しく、泣かされてしまった。

若き日の龍子の秘めたる恋について、
原作には具体的なことは殆ど書かれておらず、想像に委ねられているけれど、
耕史くんはその恋人の医師・篠崎孝次郎役。要となる、とても大事な役だ。
ドラマでは、咲子の父にあたるこの男性と龍子との、
かつての恋愛部分に焦点をあてたオリジナル部分が多いらしい。

製作発表のあと、あちこちで情報が流れ、徳島ロケのことも目にした。
8月初めと8月終り頃に、エキストラを含めて撮影するとのこと。
クライマックスは阿波踊り演舞場の場面だし、徳島の風物は欠かせない。
募集の頁も見たが、この時点ではまったく行く気はなく、
それはとうに締め切られた。
しかし、最初のロケの様子が徳島新聞に載り、都内の撮影も始まり、
目撃情報などを読み、役に入った姿などをちらほら見ていると、
だんだんと関心も高まってきた。
そこへ持ってきて、ひょんなことから
8月26日のエキストラを追加募集しているのを見つけてしまった。
話の流れから、最後の阿波踊り場面に彼の出番はないだろうことは予想がついたし、
かなり悩んだが、高まってきた関心のほうが勝った。
地元民優先とのことだったが、一応問い合わせて承諾をもらい、
申し込んでエキストラ参加証が送られてきた。

25日、初めての徳島入り。
徳島市の中心にそびえる眉山のふもとの阿波踊り会館で、
阿波踊りのパフォーマンスを見、最後には参加して一緒に踊り、
ロープウェイで眉山山頂に上って眼下の街を眺め、
寺町を歩いたり、大滝山の白糸の滝付近に行ってみたり、
街と物語と自分の心身がなじんできたところで、
いよいよ翌26日、ロケ参加の日。

<8月26日ロケ最終日>
エキストラ参加証とともに送られてきた説明書きによれば、

撮影日)H19年8月26日(日)
集合場所) 沖洲マリンターミナル駐車場
時間)16:00入場開始 17:30入場完了
撮影内容) 当日撮影するシーンは物語のクライマックスであり、
30年前に離れ離れになった龍子と孝次郎の感動的な再会場面。
皆様には阿波踊り演舞場の桟敷に座っている観客として参加して頂きます。

とある。
本番と同じように、桟敷を一部建て、踊り連の方々に踊って頂き、
その中でお芝居が進行していくという段取り。

阿波踊り未体験のまま原作を読んだ時には、
「演舞場」と言われても漠然と屋内の劇場を想像していたけれど、
さすがにその後色々調べて、市内随所に設置される野外の踊り会場だと分かった。
広い道路や公園を、川の流れのように踊り手たちが踊り流れてゆき、
その両側に階段状に桟敷席が設置されて、踊りを見下ろし見物するのだ。
「阿波踊り演舞場の観客として出演なので、うちわや浴衣は大歓迎!」
との文面もあり、もちろん持参の浴衣に着替えた。
選んだのは綺麗な浅葱色の絞り。帯と草履は濃紺。

沖洲(おきのす)マリンターミナルは、
市営バス6番乗り場から中央市場行きに乗って終点。
名の通り、街中から離れた海辺のほう。
遅れないよう駅前から4時半発に乗り、5時前には着いた。
広い駐車場に、野球場の観客席のような桟敷席が建てられている。
日没にはまだまだ間があり、駐車場のアスファルトの熱は尋常ではない。
集まった面々、置いてある団扇でばたばたと汗をあおぎつつ、
わずかな陰に隠れ、暑さに耐えて待っている。

受付で参加証を見せて整理券をもらい、
やがてそのグループ番号順にまとめられ、順々に席のほうに案内された。
奥から順にではなく、グループごとに左右に振り分けられ、
幸運にも真ん中あたりの前寄りに座ることが出来た。
この時点で6時くらいになり、陽射しがなくなって、
ようやく暑さも和らいで来た。
衣装を着け、道具を持った阿波踊りの連・娯茶平の方々も、
桟敷席近くに入っていらした。
桟敷席は一面だけで、向かい側にはライトやカメラ用のクレーンが聳え立っている。

スタッフの方からの説明。
今日のこのロケですべての撮影がアップすること。
なので、すみませんがスタッフ・キャストの記念写真を撮ります、とのこと。
すべて終ったあとのことかと思ったら、まずは先に記念撮影。
龍子役の富司純子さん、
お着物の上に上っ張りのような白い絣模様の上着を羽織ってご登場。お綺麗!
白のノースリーブのブラウスとグレーのパンツ姿の常盤貴子さんは、
拍手にこたえてぶんぶんと両手を振ってこたえてる。素敵。
あ、宮崎淑子さんだ!ということは、
龍子の世話をする介護マネージャーの啓子さん役か。
襟に刺繍など入った、可愛らしい白のブラウスに、
フェミニンな花柄の茶系黒のスカート。
一緒に並んだえんじ色のポロシャツを着ている男性が、
映画では大沢たかおさんが演じた寺澤医師なのだろう。
失礼ながらお名前を存じ上げず、お隣のひとに聞いてみたら、
「小市慢太郎さんです。救命病棟24時に出てましたよ」と教えてくださった。
あとで調べてみたら、マキノノゾミさん主催の劇団M.O.P.所属の役者さんで、
映像作品の出演も多い。ドラマで医者役を演じることは多いとか。

本格的に撮影が始まったのは7時頃だった。目の前に連の方々がいると、ほんとに阿波踊り見物に来たようで楽しい。髪をまとめ、半纏をきりりと着て、腰を落とした男踊りをする女性たちの半纏踊りのあとに、黒繻子がけの襟と帯、編み笠、手甲を着け、黒塗りの二枚歯下駄をかしげて踊る女踊りのグループ、そのあとに手拭で頬かむりをして、尻からげをし、団扇を持った男踊りが続く。
鳴り物の笛や三味線、太鼓のひとたちも脇にひかえてお囃子をする。編み笠は被らず、帯の後ろに差した三味線グループの若い子たちも可愛くって見惚れてしまう。若い子がきちんと髪を結い上げてるのって良いなあ。地毛で日本髪が似合うような子が、今でもちゃんと居るんだ。

老年の篠崎孝次郎役の方が、桟敷席の上のほうから階段を下りてくる。お年は召しているものの、端正な細面で誠実そうな、いかにもお医者さまらしい風貌。どなただったろうか、としばらく考えているうち、スタッフから「ガクさん」と呼びかけられているのを聞き、あ、山本学さん!とようやく分かった。たいへんお久しぶりでお見それしてしまった。舞台も映像作品も数多いけれど、昔の『白い巨塔』での里見医師役を始め、医師役は十八番のよう。

孝次郎は白のワイシャツ(上着を脱いだ時に見たら半袖)に濃紺のネクタイ、麻らしき生成り色のジャケット、グレーのズボン、黒の革靴。右手から左のほうへ進む踊りの流れに分け入るように、まっすぐ向こう側に向かってゆく。向こう側に龍子がいるだろうことは、姿がそこになくてもよく分かる。

富司さんの龍子は遅れて現れた。淡い黄色の着物をすらりと召して、本当に姿のよいこと。着物はそれほど透けて見えなかったけど、やはり夏の単衣の紗だったのだろうか。ほとんど無地で、ところどころ竹の節のような模様が小さくしゃっしゃっと入って、シックでお洒落。帯は麻のような感じの半幅。茶とグレーの格子。やの字結び。帯締は臙脂と白の組模様。半襟と足袋はもちろん白。草履は光沢のあるエナメルで、渋い感じの紺色。前髪は長く流しているので、後ろはまとめ髪のようにも見えたけれど、あとで見るとすっきりしたショートカット。右手を上げ、相手に向かって差しのばすようにしてこちらへゆっくりと。

たくさんの踊り手が流れてゆく中、二人にはお互いしか見えていない。それぞれの側からやってきて、踊りの列の真ん中で出会い、万感の思いを込めて見つめあい、手を取り合ったすぐあとに龍子は倒れこむ。抱きかかえる孝次郎。
これだけの場面を、繰り返し繰り返し、居所を替えて撮ってゆく。孝次郎も龍子も桟敷席に背を向けた後姿だったり、こちらに顔を向けていたり、それを交互に繰り返す。本来桟敷席は踊りの両側にあるはずだけれど、この撮影では片側にしかないので、二人の立ち位置を替えて、桟敷がそれぞれのバックにあるように見せなければならない。映像のマジックだ。そのため、娯茶平のひとたちもそれに合わせ、右手から左手へと流れたあとに、今度は向きを変えて左から右に動かねばならない。倒れこむ真ん中あたりには、クリーム色の毛布が敷かれていた。

常盤貴子さん演ずる咲子が、「お母さん!」と駆け寄るカットも単独で撮る。衣装はぴっちりと体に沿った白のノースリーブのブラウス。透けるような縦縞が入っていて綺麗。インナーは白のタンクトップ。ゆったりしたグレーのパンツの足元は黒のヒールサンダル。肩には大型の白の革のショルダーバッグ。髪は、一部だけ後ろで髪留めで押さえ、あとはロングヘアーを素直に垂らしている。
その後、啓子と寺澤が駆けつけるところも、短いカット。常盤さんは映らないけれど、キッカケ作りのため、「お母さん!」の声だけをもらい、あわてて駆け寄る二人。龍子が倒れているはずの目印部分を見つめ、肩を震わせて嗚咽する啓子。

こういう撮影でつくづく感心するのは、役者さんの集中力。コマ切れのカットのそのたびに、ぱっとそのテンションに持ってゆく。カットの声がかかるとすぐ笑顔も出るけれど、始まると瞬時に泣いている。やっぱりすごいものだなあ。

それにひきくらべ、素人のほうは、段取りが分かっていると、すっかりそれが分かっている顔と体つきになってしまう。龍子が倒れこみ、踊り手たちがそれに気付き、段々に傍に寄って覗き込むところ、「最初から皆止まりすぎです。最初はわかってないんで、だんだんにお願いします」という指示。
役者さんは流れが分かっていても、そのつど初めて知ったようにはっと驚く。それができるのがプロなんですね。観客のリアクションも同じように要求され、むつかしいなーと悩みながらやる。

おだやかな夜で、だいぶ丸くなってきた月がぽっかりと空に浮かぶ。夜になって涼しく楽になってきたと思っていたのに、なんだかまた暑い。ライトがかっと当たっているからだろう。
照明に当たり続ける役者さんは本当に暑いだろうな。カットがかかるたび、お付のひとたちが団扇や扇子で扇いでいる。富司さんの帯の後ろに、保冷剤らしきものが差し込まれたのが見えた。舞台でずうっとこんな照明にさらされていたら汗だくになるのも無理はない。時々陰を散らすためか、巨大な膜のような半透明の覆いを寄せるのだけれど、回りをビニールで囲ったりすると、風の通らないテントのようで、大変そう。

灯に集まってきたのか、きちきちきち、とバッタが飛んだ。
ひかりに透けたうす緑の体が綺麗。ああ、田舎の夏だなあと思う。
本番以外はトイレもご自由に、とのことだったが、いろんなことを見逃しそうでなかなか立てず、ようやく一度抜けて用を足して戻る途中、桟敷席の脇にあるモニター画面が通りすがりに見えた。画面の中では阿波踊りの流れも、じかに見るよるずっと奥行きがあり、そのなかを二人が引き寄せられるように近寄ってゆく。フレームのなかは別世界。これがドラマの真実の世界。常盤さんたち、今は出番のないひとたちは、椅子に座って真剣にモニターをのぞきこんでいらした。

最後のあたり、今まで使っていなかったクレーンを使って倒れた龍子と抱きしめる孝次郎、周りを囲む連のひとたちを俯瞰で撮る。さすがに毛布は撤去。段取りのため、スタッフ男性がスタンドインで同じポーズをしていると、どうしても笑ってしまう。
「テストでーす」「はい、テスト!」それが終ると
「本番でーす」「はい、本番!」撮り終わって「はいチェック!」
チェックOK、となると撮了。「はいOKです!」
拍手、拍手、拍手!
「これですべて終了です。皆様ご協力ありがとうございました!」
時刻は10時を少し回ったところ。天候の崩れもなく、予定通りで本当に良かった。花束がいっぱい出てきて、役者さんたちに渡される。常盤さんは小さなひまわりの入った黄色主体の花だったけれど、富司さんは紫、宮崎さんはピンクと、皆々違う色合い。耕史くんは24日に撮影終了して、常盤さんから花束をもらっていたそうだけれど、どんなお花だったのかしら。

お囃子がにぎやかに始まって、今までカットのたび踊りがぶつ切れになっていた連の方々が最後を飾って踊りだした。機材側の左手奥から、右手に向かって、やってくる。「1かけ2かけ3かけて、しかけた踊りはやめられぬ、5かけ6かけ7かけて、やっぱり踊りはやめられぬ」の囃言葉。半纏踊り、女踊り、と来て、あ、富司さんが、常盤さんが踊ってる!楽しげに、気持ち良さそうに。ああ、こんなことまで見られるとは思わなかった。宮崎さんはにこにこしながら男踊りに混じって、腰を低く、うちわを手にして踊ってる。お上手!小市さんは踊りながら、用意していたらしい紺色の手拭を出して頬かむりしていた。

最後の阿波踊り、ぱあっと発散できたようで、とても気持ちのよい終わり。参加者には記念の「眉山」の文字入りのお箸などが配られた。バスでやってきたエキストラ参加者には、あらかじめ直行バスの用意があり、10時半の大型バスに乗り込んで徳島駅へ。同じ姿勢で4時間近く座り続けたのはさすがに疲れたけれど、本当に間近で撮影を見られて、それぞれの表情が脳裏に焼き付き、得がたい経験をした一夜だった。
0 10

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2007年08月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る