記録ないしオブジェ、或いは記録されるオブジェ、そしてデペイズマンについて考えてみる。
★ パゾリーニはプリミティフ、原初なものを記録することによって、供儀や人間性を検証する。デペイズマンにおいて、デクパージュはシェーマを切り取るセンスであり、グリッドがぶつかり合い生まれる“驚き”より、供儀(或いはロゴス)と結び付く話法に関心をもつ。日常生活を写し取る写真性により市井の在る社会やそこに生きる人々を現前させるのであり、話法を用いた構造により、話法を生み出した人間、社会、文化が検証される。
★ ゴダールは現在性を記録することによって、社会や人間性を検証する。初期は日常生活を生む社会をサブカル的、或いはメタ映画的な感覚で検証し、ある時期から、階級闘争がある社会をアンガージュマン(としての異議申し立て)的に検証する。デペイズマンにおいて、デクパージュはシネマ的に異空間をつくるものであり、ぶつかり合うグリッド- それは1フレームにおいても言える -は事物としての人間をクリアーに現前させる。そこに意図されるものは、人間性の捨象による「行動」の現前である。
つづく
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