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『豚小屋』を久しぶりに観る。YouTubeで観たので、何言ってるか分からず。終わって、あらすじを読む。
感想である。陽気な国伊太利亜らしからぬ、メランコリーである。『暗殺の森』の主人公もそうだったけれど、政治の季節の時代の伊太利亜では、政治に関心あるインテリはこのテクストに表されるように、エゴに対して素直に猪突猛進だったのであろうか。ってよりも、ピエールレオが出ているドイツを舞台にしたエピソード、ファシズム傘下の国民はこのように、狂気の夢想を抱いているということ表しているのだろうか。アンヌが可哀想である。『中国女』での二人にはまだ恋人たちの時間があった。アンヌヴィアゼムスキーが去るとき、ピエールレオは影に語る。或いは、なにものでもないものに語らしおん。夢見ている。一方、もう一つのエピソードの主人公は、懺悔ではなく、意思を表す。夢想とは違ったものに思われる。狂気めいたものでも似て非なるものがコントラストされる。
しかしながら、無邪気な異常という意味では、ふたつのエピソードの二人の男性主人公は同じである。無邪気な異常は闇に葬り去られる。古代と現代のパラレルワールドの2人の男性主人公は、異常性欲者というより、慣習に抗する者であるというより、欲望に対してトッテモ正直者であるというより、それら以上に図も地もなくしてしまった空- くう -である。五里霧中にあらずんば闇に葬り去られることなし。彼らは語られる、無意識のなかで。
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或いは、建設されたものと建設以前のものとのディファレンスがコントラストとして2つのエピソードに表されているのか。
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フランコ・チッティは『アポロンの地獄』や『デカメロン』、或いは『アッカトーネ』の彼と同じように、目撃者であると同時に体験者である。ニネット・ダボリはパゾリーニの他のテクストと同じように、苦界において陽気であり、そして素直に悲しむ、つまるところ、人間的なエモーションを体現する。
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ハンニバルは『ウィークエンド』でもあったけれど、その影響なのか。それとも、そのような世間を騒がした出来事が当時あったのだろうか。それとも、ヤコペッティの影響なのだろうか。
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クロサワは『乱』や『影武者』や『夢』などといった晩年の観念映画は、彼の盟友フェリーニとは違い、ベルイマンとは若干意気投合しそうなとこあるけどやっぱり違うのであり、彼らよりもパゾリーニっぽいように思える。
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パゾリーニ、近所のレンタル屋にはなく、ある一部のとこしか取り扱えてないのは、彼の人気に陰りがあるのではなく、もはやモザイクの入っていないアレはご近所共同体のなかではかなり問題になるからなのであろう。大島が愛のコリーダで試みたように、性が革命的ツールになるとは今の時代に思えなかったのだけれど、思えば現代は保守性がまかり通るのであり、パゾリーニは充分にスキャンダルなのである。
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『中国女』を久しぶりに観る。
ゴダールもパゾリーニと同様に、ロマンティシズム抱いた生身を捨象するという以上に、ロマンスをマテリアルとして現前させる。
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アンヌヴィアゼムスキーに恋に落ちる。アンヌに『愛の世紀』の主人公が重なる。本質より実存。花より団子。大きな物語が壊れても、あのイズムが今の時代においてもはや全く無意味であったということはない。ここで言われるように、社会主義に向かうなか革命と出会う。アンヌとピエールレオのカップルは、プチブルなのか、とってもブルジョワなのか、中産階級なのか分からないけれど、当時のシャンゼリゼ通りでもモンマルトルでも、若者たちは皆が皆、愛と革命を議論していたのであろう。戦う真の共産主義。今の時代において、暴力だの、テロリストだの、とっても危険なワードが満載に感じられるテクストであるが、コスモポリタンたちは都市という自然の中で、主観と客観の併存、その愛を求める。
『愛の世紀』の主人公は爆弾ではなく本を入れたバッグをもってテロを遂行した。『中国女』において、テロはイメージされる。彼らは格子のなかにいるかのように表される。ゴダールの頭の中ではアンヌはどのようにして、テロと臨ませたのだろうか。その後のジガヴェルトフ軍団、ゴダールが急進的になって付いていけなくなったというでなく、まだ若いアンヌの方がかなり入り込んでいったのではないか。社会主義に向かうなか革命と出会う。そして、ゴダールはソニマージュというソシオリズムへ、アンヌはヒューマニズムというソシオリズムへ、と向かう。そうイメージする。イメージの囚われ人はそこから抜け出せることはできないが、彼女はきっと人と向き合えることが出来たであろう。
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ブルトンにとってシュルレアリストがイデアリストとマテリアリストを超えたなにかになろうとしたことに比し、ゴダールにとって(シチュアシオニストではなく)マオイストがイデアリストとマテリアリストを超えたなにかになろうとしたのか。
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