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2011年04月15日01:08

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『TAROの塔』最終回

すさまじい。強い。しかし切ない。
太郎と敏子が手を携えて共にやり抜いた闘いは、
最後の最後まで刺激的でスリリングだった。
この強靭な精神は、およそ日本人離れしている。
闘いモード全開の時のバンドネオンや、
ほろっと切ない時の胸に染みるギターの音など、音楽も効果的。

前回、葛藤を乗り越えて覚悟を決めた敏子はもう決してゆるがない。
この最終回では、その彼女に圧倒された。
太郎を支え、励まし、叱咤するマネージャーでありプロデューサー。
ふと彼女の前でだけ見せる弱気や、
「いい!」と褒められて「そうか!」と喜ぶ無邪気さなど、
太郎のほうはまるで子どものように思える。
天才は永遠に無垢な子どもなのだ。

敏子の昔の仲間が太郎をののしり非難する時の眼は、
異端への反発と共に、嫉妬にあふれている。
「あなたのことを縛り付けるだけで、
奥さんにだってしてもらえてないんでしょう?」
「あなたの幸せって何なの?
独身のまま子どもも生まず、岡本太郎に尽くして。
あなたにはいったい何が残るっていうのよ」
これがいわゆる世間一般の視線というもの。
世間は勝手なことを言う。理解せずおとしめて笑う。
二人はそういうものと闘わなくてはならなかった。

「たとえそれが燃えさかる炎の中であっても、
にっこり笑って飛び込んでゆくのが岡本太郎なんです!
でもそれは誰かのためにしていることではないから、
何を言われても平気だけど、だけどこれだけは言わせてください。
岡本太郎は天才です。だけど生まれた時から天才だったわけじゃないの。
苦労して、努力して、苦しんで、もだえて岡本太郎になったの。
だからあの人は他人になんか絶対に屈しません」
太郎のことを無責任に非難する学生たちに対して、
敏子が彼の代弁者のように訴えかける喫茶店の場面も胸を突かれる。
太郎の言葉を書き取り、整理し、常に彼と共に生きて来た彼女は、
いつの間にか身ぶり手ぶりさえも太郎が乗り移ったようになってゆく。

天才・太郎の光と影。
屹立した太陽の塔が勝利を感じさせたあと、突然の発病。
ふるえる手で絵筆を握る太郎は、ふらふらでダウン寸前のボクサーのよう。
運命のむごさに言葉も出ない。
「俺が岡本太郎じゃなくなったらどうする?」
「その時は私が殺してあげます。
大丈夫。身体が動かなくなっても声が出なくなっても、
岡本太郎の中にある神聖なる火は消えてないでしょう?
私も消さないから。一緒に闘いましょう。大丈夫よ」
まるでお母さんみたいに彼を抱きしめる敏子に眼頭が熱くなる。

しかし動きや言葉が不自由になってからも
TV出演し続ける太郎の姿は痛ましかった。残酷な見世物。
「あんな太郎さん見せないでくれよ。
 岡本太郎はもっと尊敬されていいはずだ」という、丹下からの電話。
やりきれない苦みを噛みしめながら言うような台詞。
ここの小日向さんは実に良かったなあ。
電話を切ってすぐ酒をあおる敏子も切ない。
「馬鹿と言われようが道化と言われようが、俺はかまわん。
そこから何人かは本質にたどりつくだろう。そのための生贄になるんだ。
血を流してもにっこり笑ってみせるんだよ。それが岡本太郎の戦いだ」
という、先に交わしていた会話がここへの伏線となっているのだが、
あまりに状況が違い過ぎるし、きっと他のひとには分らないだろう。
それでも彼女は闘い抜いた。彼が先に逝ってしまってからも。

晩年のインタビューで語る彼女の言葉。
「わたくしほど幸せな女はいないと思うわね。
だってあんな素敵な男の子とずっと一緒にいられたんですもの。
これって奇跡だと思わない?」
「いなくなってさみしくないですか」
「ちっとも!だって岡本太郎はいるのよ、ここに。そうでしょ?
なんで居ないなんていうの?今も一緒に闘ってるのよ。
まだまだ岡本太郎はこの世界に必要なのよ。
だからまだ何も終わってないのよ」

今回は台詞起こしをしたのだが、
あらためて文章化してみると、胸に響く言葉だらけで、
思わず全部並べたくなってしまう。
太郎亡きあと、太陽の塔と対峙した敏子が、
くるりと踵を返して歩き出しながら、太郎のかつての言葉を語るところも、
つくづく強いメッセージ性に感服したので引用したい。
 
「人類の進歩と調和なんか糞食らえだ。
人類は進歩なんかしていない。
確かに宇宙に行く科学技術は発達したが、
肝心の宇宙を感じる精神が失われているではないか。
それに調和と言ったって、日本の常識で言えば
お互いが譲り合うということだろう。
少しずつ自分を殺して譲り合うことで慣れ合うだけの調和なんて卑しい!
人間は生きる瞬間瞬間で自分の進むべき道を選ぶ。
そんな時、私はいつだってまずいと判断する方、
危険な方に賭けることにしている。
極端な言い方をすれば、己を滅びに導く、より死に直面させる方向、
黒い道を選ぶということだ。
無難な道を選ぶくらいなら、私は生きる死を選ぶ。
それが私の生き方の筋だ」

かっこいい。
最後まで骨太で強い、怒濤のようなドラマだった。
自らの絵をモチーフにしているような、
鮮やかな原色のネクタイを締めた太郎のスタイルもさまになっていて素敵。
なお、敏子が昔の友人と出会う図書館の場面で、彼女がめくっているのは
その年(1968年)に出版された『永遠の現在 : 美術の起源』
( S・ギーディオン著 江上波夫/ 木村重信訳、 東京大学出版会)。
アメリカ合衆国国立美術館(ワシントン)におけるA.W.メロン美術講座(1957年度)
をまとめた、図版多数の原始美術の本。
彼女の勉強ぶりがうかがえる。
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