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2010年08月29日22:19

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葉菜さんという母(『Mother』抄)

葉菜さんは不思議なひとだと思う。
最初の登場は、いかにも地味で普通の市井のおばさんといった印象。
それもかなり古風な。
親切でひとがよくて、ちょっとおっちょこちょいなところもあって、
それがために継美から「うっかりさん」のあだ名をちょうだいし、
余計に親しみやすく可愛らしいイメージがあった。

ドラマが進むにつれ、ただそれだけではない波乱万丈の過去とともに、
彼女の肝の据わり方や強さ、決断力に圧倒された。
一見守りのひとのように見えるけれど、
実は彼女は打って出るひと。
「私があなたたちを守ります」
「私、昔刑務所にいたことがあるの」等、
唐突とも思えるような宣言や告白も、
そのやわらかでやさしい雰囲気にふわっとくるまれて
ファンタジーとなることこそ圧巻だった。

「走馬灯ってあるでしょう
 ほら 人は死ぬ前に
 それまでの人生のところどころを思い出して
 走馬灯のようにめぐるって
 それがね 今から楽しみなの
 奈緒を連れて逃げてた頃のこととか
 富山から名古屋 名古屋から焼津 焼津から前橋 最後に宇都宮
 あなたの手をひいて列車を乗り継いで逃げ回ったの
 何をやってもうまくいかなくてね 心細くて怖かった
 でも でもね 内緒なんだけどね 楽しかったの
 あなたと逃げるの楽しかった
 だから今も楽しみにしてるのよ
 素敵なお芝居の切符持ってるみたいに」

娘と逃亡していたことを”内緒なんだけど楽しかった”と言い、
死にゆくことを”素敵なお芝居の切符持ってるみたい”と言う
これらの台詞にはやられてしまった。
淡々と語っているようで、言葉のひとつひとつがすべて胸に染みいる。
そしてまた、奈緒をかばって罪をかぶったのではないかと
暗に気付いている駿輔の言葉を、表情を変えないまま黙って聞いた後、
やや間をおいて「そういうの、男の人の幻想です」と返し、
にこりと笑う場面には戦慄すら覚える。
演じる田中裕子さんの力量には感嘆せざるを得なかった。

決して一筋縄ではいかない葉菜さんという人物。
それでも彼女のことがどうしようもないほど慕わしいのは、
昔ながらの母親の姿を体現しているからだ。
子どものことをただひたすら愛してくれるひと。
見守り、細やかに気を使い、手をかけてくれるやさしさ。
本当に昔ながらの、普通の市井人らしいつつましい暮らしぶり。
畳の部屋のちゃぶ台だとか、お茶缶に入っているお茶っ葉だとか、
冷蔵庫に貼ってある月カレンダーだとか、
箪笥の上に飾ってある日本人形だとか、
お仏壇の「青雲」線香や毎日ローソクだとか、
何もかもなつかしくてたまらない。
ああ、お母さん。

あんなふうな割烹着を着て家事をしていた。
パジャマはあんなふうなのを選んでた。
毛糸のカーディガン。
お台所でこまめにいろんなものを作ってくれた。
そう、私が幼い頃は、あんなふうに散髪してくれた。
あの縁側。あのミシン。みんな見覚えがあるものばかり。
かつて確かにあり、今はすでに失われたものの数々。
泣いてしまいそう。
葉菜さんの佇まいは、現在の50代というよりは、
古風で勤勉な、私の母の世代である70代くらいを思わせるのだ。

奈緒が葉菜に髪を切ってもらう場面は本当にしみじみと良かった。
髪を梳かす、髪に触れると言うのは、肉感的なコミュニケーション。
『となりのトトロ』で、母の見舞いに行ったサツキの髪を、
母親が梳かしてやったのを思い出す。
子どもにかえって、奈緒の記憶が甦る。
「お母さん、あのね」
「なあに?」
現在の、落ち着いた深みのある葉菜の声が答えたあと、
回想のなかの葉菜が「なあに?」と答える声は、少し高くて甘やか。
彼女も若かったのだ。

最後の最後まで奈緒と継美のことを心にかけ、
継美のための編み物をしていた葉菜さん。
秘密を誰にも言わず、胸にしまったまま逝ってしまった。
無償の愛。彼女こそ慈母と呼びたい。
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