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2010年08月12日08:54

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千寿第八小学校(『Mother』第4〜5話ロケ地)

<小学校の場面>
継美に普通の小学生としての暮らしをさせたくて、
第4話で奈緒はあれこれ奮闘するのだが、
うっかりさんこと望月葉菜の助けによってなんとか審査をパスし、
継美は晴れてランドセルを背負って、小学校に通い始める。
しかし葉菜が継美のために折ってくれた紙飛行機のかたちを見て、
彼女こそが自分を捨てた実の母親ではないかと奈緒は気付く。

第4話の終わりと、第5話の初めは、
教室の窓から奈緒に笑いかける継美と葉菜、窓から飛んでくる紙飛行機、
そして真実を知って立ち尽くす奈緒の姿が映し出される。
小学校の校庭は、この劇的な場面の舞台となっていた。

ロケ地ガイドによれば、この小学校のロケ地は千寿第八小学校。
http://loca.ash.jp/info/2010/d201004_mother.htm
→ロケ地047
・継美(道木怜南)が入学した小学校
→ 千寿第八小学校(東京都足立区千住関屋町16−1)

<千住の歴史>
千住(せんじゅ)は江戸四宿のひとつ(他三つは板橋宿、内藤新宿、品川宿)で、
五街道のうち日光街道と奥州街道両方の初宿にあたる宿場町。
江戸四宿歩きに熱中していた5〜6年前には、よく訪れたものだが、
さすがに街道筋からちょっとはずれた小学校まで見ていなかったので、
日中を避け、陽射しが傾きだした頃にぶらぶら見に行ってみた(7月24日)。

千住地域は蛇行しながら太く流れる荒川と隅田川に囲まれている。
隅田川は北千住と南千住を分けている格好。
撮影地となった千住関屋町は、北千住駅と南千住駅の間に位置していて、
小学校の場所自体は、北千住駅からのほうが近そうだが、
うちから日暮里経由で常磐線に乗ると、南のほうが手前なのでこちらから。

このあたりはいまだ江戸に通ずるような古めかしい雰囲気が随所にあり、
史跡もあちこちにあるので、思いはさまざまに飛ぶ。
南千住には罪人を処刑する小塚原処刑場があったし、
日光街道へと通じるコツ通りの名は、小塚原(こつかっぱら)の「こつ」とも、
掘り起こすとお骨がざらざら出て来たからとも言われている。
日光街道を三ノ輪側に戻れば、彰義隊士の墓や上野黒門がある円通寺。
八幡太郎義家が奥羽征伐をした際、
持ち帰ったエミシの首四十八を埋めたという首塚もある。
小塚原という地名の由来は、この塚から来ているとか。
打ち滅ぼされた者たちの無念の思いが漂っているような気がする。
http://www6.plala.or.jp/entsuji/

日光街道とコツ通りが合わさるところに、
二天棒の千貫神輿が出る天王祭で有名な素盞雄神社がある。
ここまで来ると千住大橋はすぐそこ。隅田川を渡る長く大きな橋だ。
『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第十六巻『蛍火ノ宿』における、
磐音と奈緒の別れを思い出してしまう。
芭蕉が『奥の細道』つまり奥州街道へと足を踏み出したのも、この千住から。
”行く春や 鳥啼き 魚の目は泪”という、
旅立ちの際に詠んだ芭蕉の句碑が橋のたもとにある。
向こう岸は千住橋戸町。

<橋を渡って千住関屋町へ>
京成線の千住大橋駅手前で右手の中央卸売市場安達市場の側へ渡り、
そのまま隅田川に平行するように、右手(東側)へ進む。
卸売市場は昔のやっちゃ場(競り市場)の流れを汲むものらしいが、
その関係のせいか、道筋には通運会社なども目に付く。
途中、常磐線の下をくぐり抜けたら、そこから千住関屋町。

関屋という地名は「江戸名所図会ー牛田薬師堂 関屋里」にも
その名が見える景勝地の名を継ぐものだとか。
京成線の「京成関屋」駅のすぐ近くにある東武線の駅は「牛田」駅。
いずれも昔ながらの名前だ。

しばらくまっすぐ進むと、右手に関屋公園が見えてくる。
公園のところから左手を見ると、ちょっと遠目に京成電鉄が走るのが見え、
そちらに向かって歩いてゆくとロケ地となった千寿第八小学校が現れる。
http://www.city.adachi.tokyo.jp/031/d09800103.html
あたりには高いマンションも見えるが、樹々も多く緑がまぶしい。
この近くには昔、アメージングスクエアという遊園地があったそうだ。

<小学校とその周辺>
地名は「千住」だけれど学校の名称は「千寿」。
こういう同音異字は、結構あちこちで見かける。
調布の「深大寺(じんだいじ)」と「神代(じんだい)」もそうだし、
博多に行った時「唐人(とうじん)町」に
「当仁(とうじん)」小学校があるのも目にした。
音(おん)をもとに、いろんな字を当てたのかもしれない。
ちなみに千住の地名は、荒川からひきあげられたという
「千手観音」に由来すると言われている。

ドラマでの小学校場面には、
まさに今歩いてきた方角側から撮ったものがあった。
小学校を囲う柵を左手に、高架になっている京成線が行く手に見える位置。
つまり小学校に沿って南側から北側を見る方角。
継美を迎えに来た奈緒が学校脇を歩いていると、
「先生!」と呼ぶ声がして、道の向かい側から駿輔がたたっと渡ってくる。
はっ、と身を固くする奈緒。
この時、画面の奥では、京成線が走るのが見える。
右手の京成関屋駅側から、左手の千住大橋駅側に向かう方向。

これに先立つ登校時では、ランドセルを背負った子どもたちに混じり、
継美が「行ってきまーす!」と元気良く煉瓦門から校庭に入って行き、
奈緒が笑顔で手を振る場面があるが、
夕方、彼女がお迎えのために歩いている場面に見えている煉瓦門は、
通用口というか正門ではない。
先のカットは、校舎を正面に見る正門で、学校の南側。
この京成線が見える道は学校の東側。
南側の正門は番地で言うと11番地に面し、東側の門は17番地に面している。

学校東側のこの道では、北側から南側に向けたカットも撮られた。
第5話、奈緒がお金のことで困っているのを知った葉菜が、
奈緒に通帳を渡そうとするのは、小学校の囲いの柵のそば。
小学校は画面右手となっている。

夏休み中だし、夕方だったから、校門は閉められていたけれど、
柵はそう高くないので、外から校舎全体を眺めてみた。
都内とはいえ、足立区は埼玉県と隣接する周辺部でもあるせいか、
敷地はわりに広々していて、ちゃんと土の校庭なのが良い。
都心部の小学校校庭は本当に狭いし、
土ではなく舗装されているのを最初に見た時はびっくりしたものだ。
やっぱりこういう方がほっと安心できる。
葉菜がその上で継美に紙飛行機を折ってあげていた、
青い朝礼台も校舎寄りに小さく見える。
校庭に入った奈緒の背後に見えた洗い場も、昔ながらの雰囲気でなつかしい。
そう言えば『3年B組金八先生』の中学校のロケ地も隣町の千寿曙町だったとか。
(今はもうないそうだけど)

正面から見ると、校舎上に校名が大きく表示されている。
「足」「立」「区」「立」「千」「住」「第」「八」「小」「学」「校」
というように、一字ずつ独立した11枚の板。
ドラマでは、4話のエンディングで、校庭に落ちた紙飛行機を見つめて、
立ち尽くす奈緒の背後いっぱいに校舎と校名が出るが、
「世」「田」「谷」「区」「立」「羽」「根」「木」「小」「学」「校」
という文字に替えられていた。
作品中では、葉菜は世田谷区、鈴原家は渋谷区に住んでいて、
葉菜の尽力でここに通えるようになる設定。
確かに羽根木は、葉菜の住所の世田谷区大原(代田橋近く)の隣町だが、
遠く離れた足立区千住で撮影されているとは。
本当にドラマはあちこちコラージュされた架空の世界だ。

<北千住へ>
京成線は、小学校の北側に隣接するように走っていて、
成田に向かう電車と、上野に向かう電車が、しょっちゅう行き交う。
線路は土手の上にあり、夕陽をバックにした電車を眺めていると、
どこか知らない遠くの街へ来たような気分になった。

ガード下をくぐると墨堤通り。北千住はじきそこ。
昔ながらの民家が多く、なんだかなつかしい夕暮れ時。
これから盆踊りらしい揃いの浴衣のおばさんたちが見える。
再開発される地域もあるようだけれど、
昔ながらの雰囲気も守られると良いなあ。
今度は千住東、千住旭町と進んで、北千住から帰途についた。
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