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2010年02月24日00:56

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「世界ウルルン滞在記」公開トークショー

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公開トークショー第7回人気番組メモリー
「世界ウルルン滞在記」
2010年2月20日(土)13:30〜15:30
情文ホール(横浜情報文化センター6階)
ゲスト: 徳光和夫 山本耕史 白井博ほか
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http://www.welcome.city.yokohama.jp/tourism/eventinfo/syousai.php?id=6602
http://cgi.city.yokohama.lg.jp/common/kohoinsatsu/manage/upfile/p20100118140758087.pdf

このトークショーのことは、1月15日に情報を知った。
すぐに往復はがきを一枚買って応募したのだが、
運よく抽選に当たって入ることが出来た。
200名のところ1600人あまり(しかも日本全国から)の応募があったという激戦!
やはり旅人代表として登壇した耕史くんの人気ではないかと思う。

会場の情文ホールは6階の小さなホール。
7階にある放送ライブラリーには、耕史くん出演のドキュメンタリードラマ
『こころの王国〜童謡詩人金子みすゞの世界』を見るために、足を運んだことがある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1201803987&owner_id=949383

ゲストたちが登壇する前に、耕史くんの出演した回(全4回)の、
ダイジェスト映像が上映された(45分)。
この上映のために編集されたもののようで、
最初に「世界ウルルン滞在記〜山本耕史の軌跡」とタイトルが出た。
ふふふ。なんだか嬉しい。

・ミクロネシア・オレアイ島(1995年8月27日 No.20 当時18歳)
・スコットランド(1997年10月26日 No.122 当時20歳)
・中国(2003年5月25日 No.368 当時26歳)
・アメリカ(ジョージア州サバンナ)
 (2008年1月20日 No.555 当時31歳)

いきなり腰布ひとつで食べるものも自分で取るような生活を体験するオレアイ島、
口を腫らしながらも一週間でバグパイプを吹けるようになったスコットランド、
乾杯攻めで酔いつぶされながらも、見事に手品を習得した中国、
そして大好きなギターを自分の手でつくるために訪れたアメリカ。
放映順に見ていくと、幼な顔だった彼が、
どんどん大人の男になっていくのにしみじみしてしまう。
4回分を45分にまとめると、どうしても間のあれこれはカットされてしまうので、
最後の別れの涙がやや唐突に見えてしまうのは致し方ないところ。
時間的には、最後のギター作りの回が一番長めだったような気が。
それにしても得難い体験ばかり。良い番組だったなあ、と改めて思う。

上映後、ゲスト6人が壇上へ。
向かって右端から、白井博さん(番組制作)、徳光和夫さん(番組司会)、
山本耕史くん(旅人)、大山勝美さん(司会)、保坂秀司さん(ディレクター)、
石原徹さん(ディレクター)。
6人ながらテーブルは5つで、耕史くんは真ん中。
黒髪に黒縁メガネ。黒ジャケット黒パンツ。靴は光沢のある黒と赤のツートンカラー。
インナーは白の長袖Tシャツで、胸には鳥の翼のように見える黒のイラスト。
首には銀のペンダント。全体にモノトーンで落ち着いた感じ。
左端の保坂・石原両ディレクターは、ひとつテーブルに椅子二脚でちょっと窮屈そう。
司会の大山さんはドラマ制作のベテランで、放送人の会幹事・特別顧問。
まずは制作側の方々に話を振って、裏話をあれこれ。

*註)メモを取りながら聞いていたので大きな間違いはないと思いますが、
 言葉尻など若干違っていますのでご了承を。
 話の流れには添っています。

この番組は1995年から2008年まで、13年半続いた人気番組。
制作の白井さんは現在、ドキュメンタリー制作会社・テレビマンユニオンの社長。
タイトルの「ウルルン」はどういう意味だったのかと聞かれて、
「最初は『世界居候体験記』とするつもりだったのに、
スポンサーさんから没にされたんです。居候は駄目だと。
あとできいたら、1995年は阪神淡路大震災があった時なので、
家をなくされたかたも多いということに配慮されたそうで。
それで意味のない言葉だったらいいだろうと思って、ウルルンに。
これはただの記号のようなもので、本当に意味はないんです」と。
「最後の別れでみんなが涙ぐんでうるうるするからじゃないんですね」
と、司会の大山さん。
耕史くんも「あ、僕も最後にうるっと来るからかな、と思ってました。
違うんですね。ちょっとがっくりしました」

一年目は視聴率8〜9%で低かったとか。
最初は有名なタレントさんなどに頼もうとしていたが、
未開発地に行くという企画を聞いただけでマネージャーから門前払い。
それでまだ無名に近い若い人にお願いするようになった。
そういう人は現地で一所懸命やるし、素直さや体験の生々しさがよく出て、
最初思い描いていた青図より良いものになってきたとのこと。

このあたりで耕史くんの体験談。
「最初に行ったオレアイ島がまさに秘境で、
水も食べ物もないし、自分で取らなくちゃならないんです。
飲みたかったら、自分でヤシの木に登って、実を取るんですが、
ぬるいし、甘いし、二日間飲めませんでした。
いきなり服もはがされるし、というか、はぎとられて、
このまま食べられちゃうんじゃないかなって。
これで暮らせるのかなあ…と」

「日本にいれば携帯があって、あ、あの頃はポケベルでしたけど、
栓をひねれば水が出てくる水道もあって、冷蔵庫もあって、
それが当たり前のような便利な生活をしているけれど、
僕らは自分たちでは何も出来てない、生きるためのことが。
あそこでは、皆、生きるために食べ物を取ってくることを自分でやっている。
お腹が空けば魚を取って、のどが乾いたらヤシの実を取ってくる。
新宿育ちの18歳がそうした生活に触れたことは、一生の宝です」

「海外に行ったのは、これが初めてではなかったですが、
生活に触れるのは初めてでした。本当にまったく助けがないんです」

そう、見ているこちらは、スタッフがずっと一緒にいるような気がしてたけど、
その日の撮影が終わるとスタッフは引き揚げてしまって、
翌日の撮影が始まるまで、旅人は完全に一人で放っておかれるんだそうです。
差し入れも一切なしだから、現地のその食事を食べるしかない。
それは本当に心細いし、覚悟がいるだろうな。
怒っちゃった出演者もいるとか(格闘家の藤波さんだそうです)。

石原ディレクター:
「耕史くんの旅は後半の3回分を担当しています。
ロケハンは一週間ほどで、その時にホームステイ先とクイズを決める。
ステイ先はあまりいくつも見ると、かえって迷ってしまう。
いつも勘で決めています。
スコットランドでのステイ先で、僕の琴線に触れたのは、
そのうちに18歳のお嬢さんがいたこと。
これはうまくすると、恋になるかもしれないと思ったんですが、
彼はバグパイプの練習に必死だったので、それどころじゃありませんでした。
中国はロケハンの時には、お酒はそれほど飲まない人かな、という感じだった」

あの酒攻めは想定外だったわけですね。
なかなか思うようにはいかないものなんだなあ。
もう一人のディレクター保坂さんは、昔は応援団長だったそうで、
体育会系のタフな方とのこと。

保坂ディレクター:
「ロケハンが一番大変です。胃がキリキリ痛んで辛い。
旅人にいつも言うのは、テレビ番組を作るつもりではなく、
自分の旅をしに行ってくれということです。
ステイ先に選ぶ家族は、やっぱり色々対応出来る、心の豊かな人」

ウルルンを通じてディレクターも成長したそうですが、
徳光さんによれば、石原さんは一緒にやるタイプ、保坂さんは放置するタイプ。
ディレクターと出演者の相性もあるし、どうころぶかは博打みたいなもの。
ドキュメンタリーだから台本なしだということは事前に説明しているはずなのに、
現地に行ってから「それで明日の段取りは?台本は?」と聞いてきて、
段取りも台本もありません、というと大騒ぎになる人もあったとか。
(女優のNさん?Mさん?と推測が飛び交っていた)
基本的にカメラは一台のみで撮影。

徳光さん:
「スタジオに来てしまうと、その時のことがすっかり頭から飛んでしまう人もいて、
そういう人からも面白い体験を引き出すのが司会の役割なんですが、
あいにくスタジオには、大変な物知りが一人居て…
そう、石坂浩二が先に全部言ってしまうんです。
だいたいVTRを見ている間中、全部一人でしゃべってる」

耕史くん:
「ほんとに、知らないことがないくらいですよね」

徳光さん:
「でも僕らから引き出せない話を、石坂さんが引き出してくれる。
あの人はウルルンを愛してくれていたと思います」

大山さん:
「ちなみにウルルンとは直接関係ないんですが、
ADに文句をいう俳優さんというのは三人居まして、
それは石坂浩二さん、山岡久乃さん、樹木希林さんです。
こうした方がいい、って色々ご存知だから」

・中国篇の強いお酒のこと

耕史くん:
「僕はお酒は強いほうだと言われていて、
僕より強い人は居ないんじゃないかと思ってたんですが、
あのお酒は62度もあって、それを一本半あけて、
そのあと二日間身動きがとれませんでした。
僕、その時中国の新聞に出たんですよ。
”手品修行に来た、俳優の山本耕史”って、
入門の儀式の時の写真なんですが、もうほんとに写真がひどくて。
魂抜けてるような顔してました」

あの土地は周恩来の出身地だそうで、
ほんとに田舎の地酒で、強いんですね。

石原さん:
「もう、ほんとに入門の儀式のあと使いものになりませんでしたね、
被写体として。仕方ないから景色ばっかり撮ってた」

耕史くん:
「僕はなんだか手を冷やしてる記憶しかないです。
ずうっと手を水で冷やしてて。
どこをどうしていいか分らないくらい酔っ払ってた」

ウルルンでは結構地の酒が出て来たけれど、
酒豪の男性NO.1は耕史くんでしょうとのこと。
では女性は?という問いの答えは、「永作博美さん」。
「あのひとは底なしですね」と耕史くんも言う。
「僕の姉貴分です」とも言っていた。
二人が昔共演した『さんかくはぁと』を思い出してしまうが、
永作さんは、ロシアに行った時、80度のウォッカをくいくい飲んでいて、
向こうの人にまで驚かれたとか。
これはロシアにウォッカを作りに行った時のこと。
現地のひとに引かれてしまったのは、
永作さんのウォッカとギャル曽根のチョコレートの2回だそうです。

滞在先の家族の反応を聞かれた耕史くん。
「初日からうまくはいかないです。
それこそ、人種によっても、あったかいところか寒いところかによっても、
家族構成によっても、反応はそれぞれなんですけど、
なじんでいったのは、撮影が終わって寝るまでの間だとか、
カメラが回っていないところで、家族のようになっていきました。
本当に息子のように扱ってくれて。
今では、自分の故郷が4つ増えたと思っています。
人種や距離を超えて、同じ人間として接することが出来た。
オレアイ島では、ハタファリガルという名前まで付けてくれて。
あそこには、日本語のしゃべれる方がいるんです。
あの島で日本兵が、千人くらい餓死して亡くなったんですね。
行ってみなければわからないことがたくさんある。
ああいう場所にまだ天使みたいなひとたちがいるんだな、
というのは心の支えですね」

旅人は旅先で世界を発見し、同時に自分の中の日本を発見する。
日本人としての自分を自覚した、というのは、
妻夫木くんや小栗旬くんも言っていたそうです。

耕史くん:
「年をとってくると、だんだん生徒じゃなくなってくるじゃないですか。
最後に生徒だったのは、教習所へ行った時だったりして。
でも、向こうに行って言葉も通じないとなると、みんな先生なんですよ。
ウルルンでは、自分が生徒になれる人が感動させると思うんです。
日本にいる時の自分のままでは、感動しない」

これは良いお話。こういうことは前にも言っていたと思う。
自分の肩書きやカラを取り外して、素のままで謙虚に対応するということ。
確かにこの4回とも、彼は素直に生徒となって、懸命に学ぼうとしているし、
見事にそれをやってのけているところに、見ていて感動してしまうのだ。

「でも中には自分自身のままで行って面白いひともいますよね。
山本太郎くんなんか、驚きとかおののきとかなくて、
どこでも喜んで跳ねまわってるけど」と徳光さんに言われて、
「あの人は日本にいる時から生徒ですから」と耕史くん。

・ディレクターとして困ったケースはありますか、との問いに、
ディレクターがお答え。
(このあたりはどちらが答えられたかメモし忘れた)

タイでムエタイを習得するために一ヶ月滞在するというのに、
出演男性が、三日目でもう「帰りたい!」と言いだしたことがあったとか。
「もう自分の芸能生命なんかどうでもいいから、とにかく帰りたい!」と。
よっぽどカルチャーショックを受けたんでしょうね…

「でもそれをなだめて、その混乱ぶりをそのまま撮って、あとで使った。
とにかくあと二日だけでいいから頑張って、と励まして、
そうしたらだんだん慣れてきて、結構面白いと言いだして、最後まで。
でも一ヶ月はやはり長いですね。普通は一週間です」

「向こうがステイを断ったこともあります。
ネパールで、裸族に近い人たちで、
ロケハンの時は大丈夫だと思ったのに、家にも入れてくれないし、
我々をずうっとにらんでいる。
なにしろカメラも何もまったく未知の人たちで、異民族に対する警戒が強い。
泊めてくれないので、出演女性は野宿せざるを得ませんでした。
翌日行ったら入れてくれるかなと思ったけど、とうとう駄目だった」

・お礼(謝礼)って何なんですか。毎回違う?

「どこでも欲しいって言われるのはジェネレーターですね。発電機。
でもそれだけじゃ駄目なんです。結局オイルを買うお金もいるし。
だから農機具だとか、シャベル、スコップだとか、ブタだとか、
現物給与が多いです」

「ブタってどこで買うんですか?」と耕史くんがディレクターに質問。
彼はいつも素朴な疑問を素直に聞くなあ。

「麓で買って行きます。現地調達です。
生きたままじゃないと駄目なんです。
他に、歯医者さんが使う機械をあげたこともあります。
固いものを歯で噛み切るような食生活だから、歯はとても大事。
彼らにとっては死活問題ですから」

保坂さん:
「山岳民族というのは、みんな平和主義者なんですね。
争いごとから逃げて逃げて、山に入っていったわけだから、
みんな心根がやさしい人たちばかりです。
本当にユートピアですね」

・出演者たちについて

「十代の若い人たちが多かったですね。
特に男優は、若手男性俳優発見の旅、というか、
プロデューサーに見てもらいたいという狙いが。
女性のほうはベテランも居て、岸田今日子さんや菅井きんさんなど、
すごく面白かったです。
岸田さんなんか本当にお育ちの良いかたですけど、バイクの後ろに乗っかったり。
”あたくし、あれだけはご遠慮したい”とおっしゃったのは、虫を食べること。
”でも食べないと失礼かしら”と結局召し上がりました。
だいたい食から入ってなじんでゆく。概して女性はたくましいですね」

それはなんだか分る気がします。女性はリアリストですから。
”あの声で 蜥蜴(とかげ)食らうか 時鳥(ほととぎす)”という
基角の句を連想します。
「だいたい今の草食系男子は冒険しない。
僕らの若い頃は”青年よ荒野をめざせ”と言ったものだけど」と、
はがゆい思いをもらすおじさまたち。

・ギター

耕史くん最後の旅、アメリカでのギター作りに話が及んで、
会場に、彼が実際に作ったその一本が運びこまれた。
先ほど制作過程を見たばかりなので、場内が沸く。
耕史くんが手にとって、中に書かれた自分とベネデットさんのサインや、
裏の紅い色を見せる。つやつやで本当に綺麗なギター。

「せっかくだからちょっと爪弾いて、歌でも歌ってもらえませんか」
との大山さんのお言葉に、皆拍手!
「あ、じゃあ…」と応じる耕史くん。嬉しい!
実は受付を待っている間に、いつもめざといKさんが
「今ギターが入ったよ」と搬入を報せてくれた時から、
ひそかに期待はしていたのだが、まさにご想像通りの展開♪
テーブルの前に椅子が置かれ、ギター用のマイク、歌用のマイクがセットされた。

「何がいいかな」などと言っていた耕史くんだが、イントロを聴いてすぐ分った。
Eric Claptonの『Tears in Heaven』。彼はこの曲をよく歌う。
♪Would you know my name
 If I saw you in heaven?
 Would it be the same
 If I saw you in heaven?

アメリカに行った時も爪弾きながら自然に口をついて出るような感じで歌っていたし、
別の番組でブータンに行った時もそうだった。
街角でちょっとためし弾きしながら歌って、近くにいた子どもに
”you know? you know?"(知ってる?知ってる?)と語りかけてたっけ。
やさしくて、ちょっと切なくて、本当にうっとりするような素敵な声。
歌い終わると盛大な拍手。
「これを歌うと、あ、それ知ってる、と言われるんですよ」とのことで、
皆なじみやすいんだろうな。歌のなりたちは切ないですけどね。

「これはアートトップギターと言って、
アコースティックとエレキの中間ぐらいです」
ちなみに買うといくらくらいですか?と聞かれて、
「うーん。自分で作っても百万円くらいするでしょうね。
ベネデットさんのギターは、日本には10本もないくらいなんです。
一番安いのでも30万くらい。
でもいくら出されても…このギターは誰にもやれねぇ!」
と最後はちょっと芝居の台詞みたいな口調で、笑いながら。
大切な大切な宝物なんですね。

・ウルルンは何故終わってしまったのか。

白井さん:
「僕が飽きてしまったから。だいたい3年で飽きるほうなんです。
まあ、具体的には毎日放送さんのほうが、そろそろ切り替えたいとのことで」

これに対して、徳光さんはずっと続いて欲しかったとおっしゃってました。
偉大なるマンネリでいいじゃないかと。

徳光さん:
「相方は白井さんが選んでくれるんですが、
高橋由美子さんだけはお眼鏡にかなわなかったですね」

白井さん:
「彼女は一度も泣かなかったんですよ」

徳光さん:
「最初は泣く番組だと思ってなかった。
でもカメラが回ってないところの交流がやはり響いてきて。
無理に泣いた涙というのは分ってしまいますね。
僕が一番ぐっと来るのは、向こうの家族が泣くところ。
石坂浩二もこの時ばかりはしゃべらずに泣いています。
涙のわけを聞いたらきっと滔々としゃべると思いますが(笑)」

・制作者側から番組への一言

白井さん:
「僕は1995年当時、コンピュータや携帯の世の中で、
裸で暮らしてるひとたちが居ると言うことに衝撃を受けて、
世界を見る目が変わりました。
でも2001年9月11日のテロの時から、また世界は変わってしまった」

石原さん:
「旅人も家族も泣いているし、カメラマンも撮りながら泣いてるし、
音声もマイクを向けながら泣いてるし、通訳も通訳しながら泣いてるし、
ディレクターもADも皆泣いている、こんな番組は見たこともなかった。
それにはまってしまった。ウルルンみたいな番組にまた出会いたい」

保坂さん:
「久々に見て、良い番組だったと思いました。
あの時に出会った人たちとまた会ってみたい」

耕史くん:
「この番組で、自分が知らない、行ったこともない世界に
触れることが出来ました。
生きてるうちで一回もないかもしれないような体験を四回も。
皆それぞれの文化があって、プライド、誇りを持って生きていて。
そこから帰ってきて、役者として、というか、
人間として成長させてもらったと思います。
よく共演者のひとからも、あれ、僕も行きたかったなあと言われますよ。
本当に素敵な素晴らしい、違った世界を見せてもらえました」

徳光さん:
「僕にとってはまだ終わっていない。ウルルンはライフワークだと思っています。
BS-TBSのほうで、いい部分をまた放映していますので、皆さん見てください。
本当はまだまだ出て欲しいひとがいっぱい居る。
井上芳夫くんとか玉木くんとか、オダギリジョーとか瑛太とか小出恵介とか。
市原隼人は是非。
スペシャル版のようなかたちででもやってほしい」

大山さん:
「ウルルンはDVDや本も出ていますので、こちらもどうぞ。
「世界ウルルン滞在記 永久保存版」(ポプラ社)
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80004680
「世界ウルルン滞在記」DVD
http://www.hmv.co.jp/news/article/809120007/
せっかく日本全国から来ていただいたのに、
売場を作ってもらえば良かったかな。すみません」

・会場からの質疑応答

このあたりでもう予定時間を10分ちかく過ぎていたけれど、
会場からの質問に答える時間が5分ほど設けられた。

・「山本さんは、現地の皆さんとどういうふうにコミュニケーションを
とったんですか?」

耕史くん:
「音楽ですね。あとは…マジック、手品。
音楽とマジックは国境を越えます。
でも、オレアイ島でマジックをやった時には、悪魔と言われてしまって。
なんでその石を消せるんだ、と。魔法みたいに思われたようです」

・「下條アトムさんの語りが他のひとに替わったのはなぜですか」

徳光さん:「僕は替えて欲しくなかった」
白井さん:「これは単純に言うと、毎日放送側からの要請です」

・「徳光さんがやってみたかった体験はありますか」

徳光さん:
「ないです。だいたい僕は海外が好きじゃないんです。司会が好きなんです。
僕は司会は旅人になるべきではないと思います。
行ってしまったら、どうしても自分の体験を軸にしてしゃべってしまうから。
司会者は行かずに、旅人から話を引き出すべき」

質問はここまででお開き。
予定時間を15分オーバーして15時45分終了。

本当に盛りだくさんの内容で、お話も興味深かったし満足。
耕史くんは発言量こそ少なかったけれど、とても落ち着いていて、
話の内容も良かったし、ギターも歌も聴けたのは望外の幸せだった。
ほかの国のどんな人にたいしても、きちんと敬意をもって向き合えるのは、
素晴らしいことだなあ。
このひとのファンであることが誇らしくなるようなトークショーだった。
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