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2023年12月20日16:35

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なかった落とし物、その5

「万年筆をなくした男」
ショットバーの流儀

 新宿の喧騒は公園通りを抜けると、不思議なほど落ち着いた。ただし、新宿の如何わしさが、そこでなくなるということはなかった。住居に見えるマンションの間にラブホテルがあり、昼間から明らかに風俗嬢と分かる女たちが歩いている。そんな住宅街のような裏歓楽街のようなところを抜けると、駅は新宿駅ではなく新大久保に近くなる。新宿という繁華街の大きさは、そんなところまで、飲み屋街が続いているというところにあった。しかし、さすがに、人通りは少なくなる。
 筆者が通っていたのは、そんな新宿七丁目のショットバーだった。
 日頃は、もっと新宿の中央、歌舞伎町を中心に遊んでいた。食べるのも、酒を飲むのも、ボーリングやビリヤード、バッティングセンターなどで運動するのも、サウナもそのあたりで済ませていた。
 しかし、そうした日常に疲れると、自然と足は七丁目に向くのだった。
 雑居ビルのエレベーターに乗り、マンションの飲み屋フロアーの中の一軒に入る。落ち着いた赤に統一された店内の装飾。赤といっても、それはベージュに近く、光の加減では茶色にも見える赤で、これが、何とも落ち着けたのだ。
 店は狭く、カウンターしかないが、カウンターには、十人以上が座ることが出来た。カウンターの中にはバーテンが二人、助手か見習いか弟子か分からないが、たまに若い男の子がもう一人、加わっていたりしたが、基本は初老の男が二人だった。
 あの夜、筆者が店を訪れると、店は混んでいて、かろうじて奥に一席空いていたので、そこに座ると、隣には知った顔の男がいた。同じようなマニア系のエロ本の編集者だったが、いわゆるナンパ系の男で、筆者とは気が合わなかった。
「悪いな。これ、一杯飲んだら俺は帰るからさ」
「いや、こちらが後から来たんだから、それじゃあ、悪いよ。それに、席が隣になったらケンカになるというほど、私たちは親しくもないですよね」
「そういうことじゃなくてさ。一人になりたかったんだろ。この店に来るって、そういうことだからさ」
「じゃあ、こっちこそ、邪魔して悪かったですよね。私が後から来たんだ、ジンをロックで煽ったら、それで帰りますよ」
 そう言ったが、私たちは、グラスを合わせた。小さく乾杯すると、筆者は、あれ、この男はそんなに嫌いじゃないかもしれない、と、そう感じた。思えば、何の不自由もない男は、エロ本業界に入って来たとしても、マニア雑誌は作らないものなのだ。ゆえに、乾杯と同時に、意外とこの男はナンパ系のモテ男というわけでもないのかもしれないな、と、筆者はそう思ったのだった。
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