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2023年12月13日16:49

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老いた編集者老いと語る、その5

 編集者の仕事は記憶していることなのだ。たとえば、作家がやって来て、ものすごく斬新な企画を思い付いた、と、言ったりする。ところが、それは三年前に同じ作家が斬新な企画だと言っていたものだったりする。その時、編集者は、自分の記憶からその事実を冷静に作家に伝えなければならない。間違っても、二度目だ、とか、前にも同じことを言っていた、などと荒げたことは言ってはいけない。編集者は下手に出て我は通すものなのだから。
「その企画は確かに斬新でした。三年前も今も斬新な企画です。そして、三年前、先生に斬新だと言われて私も納得して誌面化したけど、あまりに斬新だったために、まったく受けずに、二回の連載で打ち切りになったんです。おそらく、時代は後、百年追いついて来ないので、その斬新な企画は百年寝かしたほうがいいと思います」
 と、ていねいに断らなければならない。
 しかし、編集者が、そうしたことをきちんと記憶していなければ三年ごとに同じ斬新な企画をやっているかもしれないのだから、編集者にとって何よりも大事なのは記録であり記憶なのだ。
 そして、筆者も記憶力ということには自信があった。幼稚園の時に穴の開いた靴下をバカにされた記憶とか、小学校の時に友達がいなくて校庭の隅でアリばかり見ていた記憶とか、中学生の時に貸した消しゴムが今も返っていない記憶とか、とにかく記憶力がいいので、いろいろ記憶している。
 ところが、その記憶力に穴が開いたのだ。記憶力が衰えたのなら、それなりに対処の仕方もあるだろうが、これは衰えではなく穴なのだ。しかも、穴は勝手に埋められるのだ。
 たとえば、ある小説のストーリーを思い出そうとすると穴があり、穴が別の小説のストーリーで勝手に埋められているのだ。ようするに桃太郎が蟹に毒リンゴを食べさせれて亀のマサカリで頭を割られるも一寸法師の針治療で助かる、というようなものなのだ。穴が勝手に間違った情報で修復されているので、対処の仕様がないのだ。
 さらに悪いことに、この穴が大きくなると、小説の穴が映画で埋められていたりするものだから、もう、最初の小説そのものの痕跡もなくなってきたりするのだ。だから編集者の引退は早いのかもしれないが、それにしても、膨大な読書量をどうしてくれるのか、と、そう思う。そう思って書棚に目をやると、そこには読んだ覚えのない本が並んでいる。買ったことで満足したのだろう。その前に小さな置物も並んでいる。置物には文字は書かれていない。そうなのだ。本だって置物だと思えば、それでいいだけなのだ。
 どうせ記憶なんて出来ないのだから、本など読まずに、眺めてストーリーは自分で想像していればそれでいいのだ。この方法なら、一日百冊でも二百冊でも本を眺めることが出来る。それはそれで悪くない。編集者にはなれないかもしれないが、いっさい目に疲労を与えないままに、読書の達人にはなれるかもしれないのだ。
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