「修羅場に咲いた一輪の花」という企画を考えている。
マニアというのは面白いもので、偽善行為と日常に走る傾向を持つ。そんな言い方をしても分からないことは、承知しているが、そんな言い方をしたみたかったのだ。
ようするに、自分たちは異端であり、社会の鼻つまみ者ゆえに、何か良いことをしているという主張をしたがるということ。そして、社交性とか社会性というものから逸脱しているという思いが、普通の日常をさせたがるということなのだ。
たとえば、社会貢献、たとえば、正論の主張、たとえば、寄付。まるで贖罪のように、そうしたことをしたがる。
あるいは、花見だとか、クリスマスだとか、お盆とか正月とか、そうしたことをしたがるのだ。
筆者は、そうしたことに無関心だ。無関心というよりも、そうしたことを照れることなく堂々とやれる自信がないのだ。なぜなら、やっぱり、そこはマニアだからなのだと思う。他人とも、社会とも、上手に付き合えないからマニアなのだ。そして、マニアというのは、それでいいように思うのだ。社会性があるなら、マニアである必要などないのだから。
しかし、そんなマニアにも、ちょっとした美談というものがある。そんな話も書き残しておきたくなった。
「いいのよ。男より子供。だって、私は母親だから」
「ここまで世話になったんだ、あいつのために死ぬぐらいしてやってもいいんだよ」
「可哀想を遊んでいるだけ。本当に可哀想な人を見るのは嫌なの、私、そういうのには弱いから」
そんな台詞の出て来るマニア世界で筆者が見た美談について、書くのだ。これもいいかもしれない。
ログインしてコメントを確認・投稿する