深夜の喫茶店もファミレスもなくなったからだろうか、街でネタを拾うということが少なくなった。何だか世の中がつまらなくなったと感じるのは、単純に筆者が、もう老人になったということなのだろうか。それとも、本当に、世の中はつまらなくなってしまったのだろうか。
その昔、筆者は喫茶店で五センチ程度のゴジラが集団でやって来て、火を吹きまくっているので迷惑だ、と、そんな妄想を書いたことがあった。別に、その話の本当のことなど書かなかった。ただ、まさか、筆者が本当に喫茶店でそんなものを見ていると思った人はいなかったことだろう。ようするに、喫茶店で暴れる子供たちに、まるで、小さなゴジラだな、と、そう思っただけなのだ。彼らは喫茶店で走り、わめいていた。喫茶店には飲み物も食べ物もある。彼らの飛沫は他人のテーブルのそれらに降り注いでいた。いたように思えた。だから火を吹くゴジラと書いたのだと思う。実際のゴジラ、いや、実際にはゴジラはいないが、実際のゴジラの吹くのは火ではないが、それはいいのだ。
喫茶店で暴れる子供たちは迷惑だが、しかし、不快ではない。そんなこともあるのが喫茶店だと覚悟して利用しているからだ。むしろ、そんなことがない最近の喫茶店はつまらないように感じる。そんなことが喫茶店でも許されない、子供にも許されない世の中がつまらなくなったように感じるのである。
さて、そんな、つまらなくなったかもしれない世の中には、筆者も少しばかり飽きてきた。だからといって、ここで愛すべき犯罪者たち、と、そんな企画をやるのも顰蹙をかうだけなのだろうと思われるから、やりたくない。性犯罪者にも五分の魂というのも同じだろう。
さて、喫茶店という筆者にとっては大事なものの話が一区切りしたところで、次は何をやろうか、やるべきか。
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