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2023年03月25日11:45

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喫茶店のある街、その12の2

 喫茶店の有難さや面白さ、そして、良くも悪くも、それがあることの必要性のようなことに理解のない人と、筆者は気が合わない。喫茶店の意味の分からない人が好きではないのだ。コーヒーにあんな高い料金を払うのは、もったいない、と、そう言う人とは、関わりを持ちたくないのだ。一時間の喫茶店での休憩は一本の映画を鑑賞するのに値する、と、筆者などはそこまで思っているぐらいなのだから、それを考えたら、コーヒー代など安いものなのだ。
 喫茶店は飲み屋とは違う。たとえば、自分と同じ趣味の読書家が隣いたら、居酒屋なら声をかけることが出来るし、スナックやパブなら声をかけるのがマナーのようなところもある。ところが、喫茶店では、それは出来ない。それが興味深い話であろうと痴話げんかであろうと、どんなワイセツな会話であろうと、他人に関わることは喫茶店では許されない。空間と時間を共有しながら完全なる他人なのだ。その場所での人間関係は公園よりも冷たいものかもしれない。
 少し話が逸れてしまうが、筆者は書店が好きだった。図書館ではなく、アマゾンでもなく、書店が好きだったのだ。それも、大型書店よりも街の小さな書店が好きだった。そこに並ぶ書籍の混沌が好きだったのだ。心理学の学術書の隣に超心理学というオカルト書籍が並んでいたり、アイドルのエッセイと直木賞作家のエッセイが隣に並んでいたりした。エロ雑誌の棚の隣の棚には音楽雑誌。少年少女の漫画と同じ棚にかなりエロティックな青年漫画が並んでいたりした。思想的には、右と左は同じ政治というジャンルで同じ棚に仲良く並んでいた。
 あの書店の混沌が喫茶店にもあったのだ。
 コーヒー代は高くない。近所にあるテーマパークだと思えば、コーヒーが付いて数百円の入場料は決して高くない。
 喫茶店が分からない者が人生を語るな、エロを語るな、芸術を語るな、と、筆者はそこまで思っている。
 ところが、今の日本は喫茶店文化を捨てようとしているのだ。個性的な喫茶店はチェーンの喫茶店によって消されようとしている。チェーンの喫茶店は二十四時間を止め、健全さをアピールし、ますます個性を失わんとしている。
 皆同じで皆が平等、差別もなければ格差もなく、もめごともなければ、高揚も悦楽もない。喫茶店ではない。世の中は混沌の中にあるからこそ面白かったのではないだろうか。人間は地球という牢獄の囚人ではないのだから。
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