先日「グロリアス 世界を動かした女たち」観てきました。
な、なんなんだこれは。
凄い映画じゃないか!
こんな映画がどうして人知れずひっそりと上映されてるんだろう? かく言う私も「オードリー・ヘプバーン」観た時に予告編を観てなかったら、間違いなくスルーしてましたよ。
そうそう、「シン・ウルトラマン」に「セクハラだ!けしからん!きゃーきゃー!」と文句つけてる人はこれ観とかないと駄目だと思います。
見当違いのいちゃもんつけることに必死になるヒマがあるならこれを観て、本当に糾さなければならないもの、真に戦うべき相手を見極めておかないと。さもないと抗議行動そのものが誤解され「いかがわしい行為」認定されちゃいますよ。
本作はジャーナリストとして体当たりの活躍をし、アメリカにおける女性解放活動の先駆者となったグロリア・スタイネムの半生を描いています。
少女時代の複雑な家庭環境(本当に複雑なんで、ちょっと飲み込みにくいところ有り)や学生時代のインド留学経験を経て、彼女はジャーナリズムの世界に身を投じることに。
前半でまず印象的なのはグロリアの母がかつて地方新聞の記者でありながら署名記事を書かせてもらえなかった事実。後にグロリアが自分の名で記事を発表した時に、母が「誇りに思うわ。これこそがジャーナリズムよ」と語るシーンには胸が熱くなります。
さらに注目すべきはインドでの旅の日々。三等客車で現地の女性達に囲まれるグロリアに、ある老女が「どうして一等に乗らないの?」と訪ねます。彼女の答えはこうでした。
「三等は女性ばかりで、男性がいないから安心」。
インドでは女性は常に性暴力の脅威にさらされていることを、グロリアは多くの女性達の証言で知る事になります。コミュニティの中で、家庭内で、そして学校で、特に低カーストの女性達は家畜以下の扱いを受けている。この体験が彼女をジャーナリズムの世界に駆り立てていくのです。
当然のことながら、アメリカもインド同様男性中心社会。ジャーナリズムの世界もあからさまな女性軽視の空気に満ち溢れています。
懸命の突撃潜入取材で成果を上げても、男性の同僚や上司は「おーおー、セクシーなねえちゃん記者が『女』使って張り切っとるわ」的視線を投げ掛けるばかり(中には「ホテルに来いや」とモロにアウトな誘いをかける上司も)。
そんな日々の中でグロリアが出会ったのは、様々な抗議活動に身を投じた女性達でした。
ここからのシークエンスで、アメリカが(そして、21世紀現在の世界が)抱える諸問題が改めて浮き彫りにされていきます。
人種問題(黒人、アジア人、ネイティヴ・アメリカン等)、労働環境問題、性犯罪、人工中絶、などなど。
そしてこれら諸問題の中で常により大きな傷を受けているのが、女性。
グロリアが女性解放運動へ身を投じることになったのは、必然でありました。
それぞれの問題に立ち向かう人の中には、時折、意見を異にする者もいます。
たとえば、女性蔑視には抗議するけれど人工中絶には反対、というような。
そんな中で、グロリアはたった一つのものを大切にし、共闘への働きかけをします。
それは「連帯」でした。
意見が違ってもいい。考え方が合わなくてもいい。大切なのは全ての人が不幸な境遇から救われること。誰の益にもならない愚かしい価値観を撤廃する事。それに向かって共に戦おうと、彼女は声を上げ続けるのです。
つまらない、些末なことで不毛な足の引っ張り合いをするなんて愚かなことですよ、本当に。
変えていかなければいけないものは、この世の中にはまだまだたくさんあります。
この世の全ての人が幸福になるのが無理だとしても、全ての人が不利益を被らない世界は実現できるはず。
その可能性を謳い上げた、実に立派な作品でした。
この作品、実はすごく印象的な台詞が多い映画でもあるんですよ。今は亡き和田誠氏なんかこれ観たら「お楽しみはこれからだ」に取り上げたくなる台詞の多さに頭を抱えるんじゃないか、と思うくらい。
その中で私が覚えてるのは、これ。
中絶合法化集会の会場に爆破予告が入り、避難を余儀なくされた時の活動家女性の台詞です。
「胎児を殺すのはいけないのに、私達を殺すのはOKなの?」
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