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2021年09月06日17:03

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ドラゴンとアイさん、その4

 アイさんの膝の上で寛ぐドラゴンをそのままに筆者とアイさんは、人が生きる意味についての話をしていた。アイさんは、しばしば「死をかけても伝えるべきを伝えるために人は生きるのだ」と、言った。アイさんは死んでも、なお、伝えるべきを伝えようとしている。その意気には壮絶な何かがあるのだろう。
「今の日本人には、命より大事なものがないのかもしれませんね」
 筆者がそう言うと、ドラゴンは、アイさんの膝から、ふわりと降りてベッドの端に腰をおろした。
「命より大事なものがないなら生きる意味もないのではないのか」
 身体のわりに小さな尖った顔を右に傾けながらドラゴンが言った。
「じゃあ、ドラゴンちゃん、じゃなかった、ええと、ドラゴンにとっての、命より大事なものって、なーに」
 アイさんもドラゴンと同じように、その美しい顔を右に傾けながら、少し笑いながら、しかし、決して、からかったり、バカにした口調ではなく、極めて誠実に、そう言った。
「知識だよ。どんなドラゴンも真理のために生きている。そして、真理のために死ぬ覚悟がある。だから、遠い宇宙の果てにも出かけ、いろいろな角度から真理を追究しているんだ。そして、死んで後は、それを次のドラゴンが受け継ぐ、従って、それは生命の死ではあるがドラゴンの死ではないんだよ」
「ドラゴンは時間軸において繋がっているんだな。でも、地球人というのは空間軸によって繋がっているんだよ」
 筆者は冷蔵庫から二十一世紀梨を出しながら、キッチンから少し大きめの声でそう言った。すると、それにはドラゴンではなく、アイさんが反論した。
「あら、日本人だって時間軸で繋がっていたのよ。だから先祖を大切にしていたし、神を大切にしていたのよ。場合によっては、先祖が家族よりも大切だったりしたのよ。七代祟るとか、末代までの恥とか。そこはドラゴンと変らないんじゃないかな。先祖より家族、神よりも命が大事になったのは、新しいことだと私は思うけど」
「おい」
 怒ったようにドラゴンが叫んだ。叫んだドラゴンは筆者の肩の上にいた。いくら小さくても肩には乗れない。そこで、肩には顎だけを乗せて、自力で飛んでいるようだった。
「おい」
 今度は耳元で怒鳴った。
「どうしたんだよ。そんなに慌てて」
「だって、これは何だ。桃でもない。イチジクでもない。しかし、これは、とんでもない物だぞ。青々としているのに、甘い匂いに満ちている。こんな物は存在出来ないはずだろう」
「これか、梨、梨の中でも二十一世紀という種類の物だよ。そして、これは鳥取から取り寄せた物なんだ。今、剥いてやるから、あっちで待ってろよ」
 言い終わらない内に、ドラゴンは、ベッドに戻り、まるで、そこが自分の所定の位置であるかのようにテーブルの前に座った。それでも、その瞳は梨から離れていない。筆者にはドラゴンが俎板の前にその魂魄を残したままベッドに行ったように思えた。その様子に、今度は、からかうようにアイさんが「まるで犬ね」と、言って、笑った。
「確かに、アイさんの言うように、先祖という繋がりを大事にするなら、そこに命を投げ出すということもあるかもしれませんね。先祖というと、少し限定的ですが、たとえば、それを信仰と呼ぶことも出来るかもしれませんし、土地と考えることも出来るかもしれませんし、あるいは、思想と言ってもいいかもしれませんよね」
「無粋な考えね」
「無粋」
 ほんの一瞬だが、ドラゴンが梨から目を離してアイさんの顔を見て言った。しかし、それは、ほんの一瞬の出来事で、すぐに、ドラゴンは梨の方に向き直り、尖った口を半開きにした。舌こそ出さないが、やはりその姿は猫というよりも、犬に見えた。
「先祖を芸とか文化に喩えられないところが粋じゃないのよ」
 アイさんが言った。
「その言葉は知っているぞ。知っているけど、意味が、もう一つ分からなかったんだ」
「仕方ないな」
 筆者はそう言って、一つ目の梨は八つに切ってから皮を剥いたが二つ目の梨はそのまま皮を剥きはじめた。梨が食べたいのか、筆者の梨を剥く姿に驚いているのか分からないが、ドラゴンは、筆者の手元を見つめていた。
「粋な剥き方ね。少し不器用なところも粋よ。不器用ながらも、薄く皮を剥いているところが、また、粋でいいわね」
 梨の形を残したまま皮を剥いた物を「ほらよ」と、ドラゴンに向かって投げた、ドラゴンが梨を落とすはずのないことを筆者は知っていた。
「なんてことするんだよ」
「いいだよ。芯は残すんだぞ、そのまま、かぶりつけ」
 不思議そうに首を傾げ、ドラゴンが梨を齧った。梨は一度に半分ぐらいなくなった。芯は残せと言ったのに、その芯も少し口に入れたようだったが、ドラゴンには、それは気にならなかったようだった。
「粋な食べ方ね」
 アイさんが言った。
「これが粋なのか。やっぱり分からないな」
 ドラゴンは残りを芯や種ごと食べてしまった。
「なんて粋なの、ドラゴンちゃん」
 粋という言葉の意味は分からなかったはずなのに、ドラゴンは粋と言われたことが嬉しそうだった。その嬉しさからなのか、アイさんに、ちゃん付けで呼ばれたのにも気が付かなかったようだ。
「じゃあ、ドラゴン、今度はこっちの梨を食べてみろよ。上品に剥いてあるだろう」
「さっきのも美味しかったけど、こっちのは、もっと美味しい」
「でもな。さっきのお前の食べ方が本来の梨の食べ方なんだよ、そのスタイルを美味しいという実を捨てても貫くから粋なんだよ。梨の皮は分割してから剥くほうが効率的なんだ。しかし、その効率よりも、スタイルを気にするから粋なんだよ」
 ドラゴンは聞いていなかった。目の前の梨を、あと、いくつ食べていいのか、アイさんも梨を食べるのか、そっちのほうがドラゴンには気がかりだったらしい。そんなドラゴンを前にして、筆者もアイさんも梨を食べることは出来なかった。
「もう一個剥くから、それはお前が一人で食べろよ」
「え、いいのか」
 言い終わらない内に、一つ目が口に運ばれていた。その姿を見てアイさんが「まあ、無粋なこと」と、言ったが、もはやドラゴンの耳には届いていないようだった。知識こそが命より大事だと言っていたドラゴンだが、どうして、その梨が二十一世紀と呼ばれているのかという話には、興味もないようだった。
 ドラゴンは本当に果実には弱いんだな、と、三つ目の梨を剥きながら筆者は思った。
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