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2020年05月17日17:37

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官能の裏側、その0

 あの時、筆者は身体の中で、何かが急激に冷めて行くのを感じていた。何十年もそこに関わって、それに実態があると信じていたものが空虚になって行くのを感じはじめたのだ。
 もう、エロ本を作りたくない、と、そう思った瞬間だった。
 エロ本はビジネスだった。それは当たり前のことだ。しかし、ただのビジネスでよかったのだろうか。コンビニのスイーツは美味しくなった。しかし、一流のパティシエの作るケーキに、それがなることはない。その一番の違いは、パティシエの中にケーキ作りが嫌で、仕事だからとそれを作っているような人はいないからなのだ。そんな人のケーキは美味しくないし、売れないからつぶれてしまうのだろう。
 どんなに一流で、そして、人気のパティシエになっても、目の前でそれを食べて「美味しい」と、言うと、嬉しそうな顔をする。そんな賞賛には‏飽きているだろうに。もっと凄い著名人の賞賛だって浴びているだろうに。それでも、やっぱり、その人たちには、見知らぬ、ただのお客の「美味しい」が嬉しいらしいのだ。
 エロ本も同じだった。エロ本はコンビニの棚には向かない。エロ本は通信販売には向かない。エロ本は街の小さな書店や古書店が似合っていたのだ。その昔は、もっと怪しく、大人の玩具屋などいう店で、ひっそりと売られていたりもした。それが似合う商品だったのだ。
 ところが、エロ本がビジネスとして成立し、お金になるようになると状況は変わってしまった。売れる本を作るようになるのだ。つまらなくなった。
「あれはよかった」とか「あれは実話でしょ」と、そう言われる楽しみがなくなったのだ。売れればいい、それだけになる。
 売れればいいとなれば、エロは表面を取り繕えばそれでいいことになる。張りぼて、書き割り、それでよくなってしまうのだ。
 ようするにグラビア中心主義になるのだ。グラビアを飾るモデルの女の子の裏の事情を書くことはタブーとなった。風俗嬢たちの取材も写真が大事になり、彼女たちの本音、寂しさ、悲しさは、それを書くことがタブーとなった。
 裏があるから、表のエロに興奮出来るのではないのか。可愛い女の子の裸は誰が撮っても可愛いし、ワイセツな用語は誰が書いてもワイセツなもの。可愛い女の子の本音が見える表情を撮るのがエロだったのではないか。ワイセツの裏側にある事情を書くからエロだったのではないだろうか。
 売れればいいんだよ、と、言われて筆者は冷めたしまったのだ。筆者には正義感などない。金が欲しいだけなら詐欺師になったほうが、きっと、成功したはずだ。
 そこで、こんな企画をはじめようかと思う。
 官能の裏側。
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