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2018年12月25日02:50

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午前三時のエロ本屋

 午前三時も筆者はエロ本屋だった。
 都内のシティホテルでこっそりと行わるSМクラブ主催の秘密パーティは、たいてい午前零時に終了となった。まずは、単独で参加している男たちが帰される。その後、カップルたちが帰ることになるのだが、こちらは車で来ているので、パーティが終わっても、なかなか帰らない。満足していない女がスタッフにセックスを求めていたりもする。店の女の子たちは、車に乗せられて事務所にもどり、そこで仮眠となるらしい。店の女の子がスタッフの車で送られる一時を過ぎた頃には、いよいよ、残っていたカップルも帰りはじめる。
 そして、午前三時には誰もいなくなる。ホテルのスイートルームは急に広々と寂しくなる。まずは、散らかった縄を片付ける。使用済みのバイブを洗浄消毒して一時的に干す。飲みかけのお酒やジュース、散乱した食べ物をゴミ袋に入れる。それを大きなバックに入れて女の子を車で送ったスタッフの帰りを待って彼に持たせる。パーティの痕跡があれば次に部屋を借りるのが難しくなるので、風呂やトイレまで掃除する。充電式のハンディ掃除機まで持ち込んでいた。
 少し前まで真っ黒なドレスで男の裸の背に座っていた女王様であり店のママが下着姿で掃除をしている。風呂場にはスカトロプレイの痕跡がある。聖水や黄金と言われているが、オシッコでありウンコなのだ。これの処理が筆者は得意だったのだ。筆者のは、ただの清掃ではない、臭いさえ残さないのだ。役に立つのは洗剤よりも口臭予防の薬だったりした。配管の詰まりを防止するために熱湯も使った。取材記者なのに、そこまでしてもギャラは受け取らなかった。そのかわりに、こちらは記事が落ちたりしたときに協力してもらうのだ。不測の事態に備え、親しくして、恩をうっておく店が必要だったのである。
 部屋を片付け、全裸になって風呂場の掃除にかかる。全裸のままで部屋にもどると、ママがシャンパンを手にしていた。パーティではそこまでのお酒は出さない。
「部屋は午後一時までよ。少し飲んでも大丈夫でしょ」
「泊まっていいんですか」
 そんなことはよくあった。電話番の男と泊まって、電話番の男が翌日にチャックアウトするのだ。お金をもらわないというのを信念にしていたが、ご馳走にはなる。シャンパンは筆者の大好物だった。
「じゃあ、遠慮なく。でも、どうして一時なんですか」
「ホテルのサービスなんじゃない」
「じゃあ、彼が帰って来たら運びやすいように用意して、それから、ああ、でも、彼の帰りを待たなくていいんですか」
「あの子には、荷物を持って引き上げてもらうから。一時まで奥田君と二人きりよ。もっとも、これ、飲み干したら私は寝るけどね」
 期待してはいなかった。性的なご褒美を期待していたらエロ本屋としては、やって来れなかったのだ。荷物をドア付近に並べ、再度、トイレや風呂や部屋を点検し、筆者は自分の下着を付けようとした。ところがママはそれを制して、逆に自分が下着をとった。
「さすがに、はじめて見せてもらいました。ママの全裸」
「いいでしょ」
「はい。すごいですよ。モデル並みですよ。お世辞ではなく」
「そのわりに、普通じゃない、そこが」
「興奮していいなら、しちゃいますけどね。それはよくないでしょ」
「そうね。じゃあ、全裸のままで乾杯して、私の五十三歳の誕生日にね」
「今日だったんですか」
「今日だったのよ」
「言ってくれれば、何か用意したのに」
「そういうの嫌いなの。誕生日の夜は仕事していたいし、誕生日の夜ぐらい、どうでもいい男と過ごしたいのよ。別に、奥田君がどうでもいいわけじゃないんだけどね。まあ、息子とまでは言わないけど、恋人の対象ではないから、ちょっと安心なのよ。気楽なのよ。そんな誕生日が好きなのよ。ねえ、あの話をして、奥田君が聖水で溺れそうになった話。あれ、私、好きなのよ」
 SМクラブのママなのだ。女王様なのだ。しかし、パーティが終われば、ただの主催者であり経営者なのだ。片付けもすれば、掃除もして、経費の精算だってしなければならないのだ。赤字になればイライラし、トラブルが起きれば対処しなければならないのだ。
「私ね。パーティって嫌いなのよ」
 それはそうだ。お金のためとはいえ、マニアパーティなんて面倒で大変なだけに違いない。そう思ったのだが、ママの言うパーティとはマニアパーティのことではなかった。
「私の家は貧乏じゃなかったのよ。どちらかと言えばお金持ちかな。母が店をやっていたからね。でもね。お正月も、誕生日も、クリスマスも、お花見とか、運動会だって、私のところは私と母の二人だけだったの。母はそのほうが気楽でいいじゃない、と、そう言っていたけど、子供の私には寂しかった。親の反対を押し切って離婚したから、親族とは縁を切っていたの。気性の激しい人だったから、親しい人なんていなかった。だから、私は、いつだって母と二人きり。それでも、母は、私の教育と思っていたのか、あるいは、寂しい思いをさせていることに対するお詫びのつもりだったのか、いろいろなところに私を連れて行ったの。家族が集うような遊園地、プール、海。最悪なのは花見よ。たくさんの人たちが大きなシートの上で賑やかに笑い合う中、私と母だけが、小さなシートの上で、ひっそりとお弁当を食べるの。お弁当は豪華なのよ。一流のお店のお弁当だから。でもね。それだけ。母は料理も苦手だったから仕出しのお弁当。それが豪華だからこそ、私はいっそう寂しい思いをするのに、母はそのことに気づかなかったの」
 そんな話を聞きながら筆者とママはスタッフが戻る前にシャンパンのボトルを空にしていた。高層ホテルの高層階だった。窓の外を見ると、目の前にも高層ホテルが見えた。いくつもの部屋に電気が灯っていた。どの部屋もその中は楽しそうだと筆者は思った。そんなこと考えたことなどなかった。家族の語らいかもしれない。ビジネスマンが夢を語っているかもしれない。何よりも多いのは恋人たちのスイートな時間に違いない。その灯りの一つなのに、筆者は他人の享楽の世話をして、他人の排泄物の始末をして、自分には楽しみの一つもないままに、しかし、高級なホテルの部屋で、高級なお酒を飲んでいるのだった。それが虚しく寂しかった。
 気が付くと、ママも向かいのホテルを見つめていた。
「似た者同士かもしれませんよ」
「だから、一緒にいるのよ。こんな老婆の相手は迷惑だとは思うのにね」
「いえ。今、ママが可愛いなって、そう思えました。私ね。スカトロの処理以外には、あまり取柄もないんですけどね。添い寝は得意なんですよ。隣にいて、いつまでも寝ずに話をしていられるから」
「じゃあ、添い寝して。ドラゴンの出て来るお話を聞かせてくれる」
「何だか、けっこうマニアックなプレイみたいになっちゃいますけど、いいですよ」
「変態二人だからね」
 スタッフの男が帰って来た。彼はどこで手に入れたのか熱いコーヒーを二つ持って帰って来た。そして、ママを頼みます、と、筆者に言って大量のゴミと荷物を持って一人で出て行った。
 この男はこの後、しばらくママの店で勤め、コンピュータ関連の会社を立ち上げて大成功する。ママの店は儲かっていたのだが、ママは店を女の子に譲り、静かに消えて行った。あの夜。五十三歳とはいえ、子供であった彼女と性的関係を持つわけにもいかなかったから、そのまま何もなしに終わり、ママが業界を去るまで、結局、何もないままだった。SМクラブのママと寝た、と、その言葉に嘘はない。しかし、何一つさせてもらってはいないのだ。そんなものなのだ、エロ本屋というものは。
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