午後十時も筆者はエロ本屋だった。
午後十時の新宿の飲み屋。そこを筆者たちは学び舎と呼んでいた。ゴールデン街は当時、各業界の人たちが集まる場所だった。演劇、出版、政治。おかしなもので、そこではエロ本屋は差別されていなかった。エロ本屋だと分かっても、平気で出版の倫理や常識や技術について語ってくれる年配の人たちがいたのだ。
「売れなくたっていいんだよ。でもよ。必要とされないものなら作るなよ」
そんなことを言ったのが、どこの出版社の誰だったのかも覚えていない。しかし、その言葉は今も筆者に沁みている。沁み込んでいる。
「出来ないことをやらないと言うのはインチキなんだよ。自分は特別だから、そんなことはやらないって、そう言うんだろう。やらないじゃないんだよ。出来ないだけなんだよ。出来ないことの言い訳けを、自分は特別だからと言っているだけなんだよ」
この言葉は当時の筆者にも痛かった。エロ本屋にはたいした技術はいらない。ゆえに、きちんと学ばない。エロ本だからいいんだ、と、そう言っていた。それも彼に言わせれば言い訳けなのだ。彼の言葉で筆者は編集理論、エディトリアルのデザイン理論を一から学び直した。分からないことはゴールデン街で教わることが出来た。いい時代だったのだ。
熱くなっての暴力事件もあった。意味不明の伝票を手にしていることもあった。それでも、そこで学べたことは少なくなかったから、それでよかったのだ。
ゴールデン街からはじまり、気が付けば新宿で夜が明ける。カラスと一緒に帰るので、朝焼け小焼けだ。もっとも、朝の新宿で太陽を見ることなどは出来なかったが。
「若いヤツはさあ。とにかく新しいことやれよ。新しいことが出来なくなったら引退しろよ。出版なんてさあ。年寄りのやっていいことじゃないんだよ。自分が同じことしか出来ない。新しいことが出来なくなった。そう思ったら引退しろよ」
そんなことを六十過ぎの老人が言っていた。
「オレはいいんだよ。引退なんかしないんだよ。オレはさあ。まだ、新しいこと出来るんだよ。年齢じゃないんだよ。新しいこと、まだ、この世にないもの、それを作り出したい欲があるうちは、しがみついてでもやるんだよ。それが本を作るってことなんだよ」
彼には、しばしば、ご馳走になった。ところが、一度も名刺交換することがなかった。
「エロ本屋ってさあ、いい仕事じゃないか。人間の欲がそのまま描けるんだからさ。妥協するなよ。おまえはさあ、エロで最後まで人生貫けよ」
そう言っていた彼の年齢に筆者は近づいている。しかし、筆者はエロを貫いていない。彼ほどの熱いものがなくなっているのだ。
思えば、あの頃にも、何度も熱は冷めていたのだ。その度に、新宿で、高円寺で、中野で、恵比寿で、上野で、ときどき渋谷で酒を飲んだのだ。知らない人たちと飲んだのだ。エロ業界でない人たちと飲んで騒ぐことで、冷めた心は再び熱くなったものだったのだ。
そういえば、いつの頃からなのだろうか。人は知らない人と飲まなくなった。
新宿ゴールデン街でさえ卑屈だったエロ本屋。しかし、その卑屈さこそがエロ本を面白くしていたのではなかったろうか。
もうエロ本屋は熱くならないのだろうか。
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