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2018年12月06日01:10

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午前九時のエロ本屋

 午前九時も筆者はエロ本屋だった。
 エロ業界にいるような人間は、それがビデオだろうが本だろうが、何しろ、少しばかり社会からズレている。特に時間感覚が鈍い。待ち合わせにきちんと現れるエロ業界関係者は極端に少ない。
 十時の待ち合わせなら全員が揃うのは、たいてい十一時だった。しかし、そんな待ち合わせに、筆者はいつでも一時間前に行っていた。筆者はエロ業界の人間にしては珍しく時間に厳しいタイプだったのだ。これは子供の頃からで、学校にも始業の一時間以上前には教室いるようなタイプだったのだ。
 都内のシティホテル、都内近郊のラブホテル、あるいは安い都内のスタジオでの撮影なら、その集合は新宿東口の喫茶店に午前十時だった。午前八時のスバル前同様に、こちらも、他の出版社やビデオ製作会社が来ている。女の子を撮影に入れるプロダクションのマネージャーも集まる。自分のところのモデルの仕事がない日でも、マネージャーたちはそこに集まっている。次の仕事を決められる可能性があるからなのだ。
 しかし、ほぼ全ての業界関係者の集合は十時なので、九時は、まだ、喫茶店もガラガラだった。十時を過ぎると、いかにも危ない人間ばかりが集まり、一般のお客には、ちょっと気の毒なことになる。それでも、喫茶店はエロ業界関係者を追い出せない。それだけの売り上げがあったのだと思う。何しろ、その数は多いのだ。十時の撮影隊は十二時までにはいなくなるが、その後、そのまま喫茶店に残るマネジャーを目当てに次の撮影の打ち合わせに来る編集者やビデオ製作会社の人間が集まりはじめ、午後一時には、編集者はライターやデザイナーと待ち合わせて、そこで打ち合わせに入る。それを各社がやっているのだから、喫茶店にとっては上客でもあるというわけだ。
 九時にコーヒーを注文する。上客とは言え迷惑なお客なのだ。そして、毎日のようにそこにいるものだから、顔も知られている。もちろん、そうした喫茶店は数軒あったが、何しろ毎日のようにいるので、どの店でも顔は覚えられてしまうのだ。
 やや不機嫌な若い女の子からコーヒーを受け取ると、華やかな声で挨拶された。まだ眠い午前九時が午後の明るさになったかのような声だった。見ると、その日のモデルの女の子だった。撮影で会うのは何回目かになっていた。美人ではないが、男うけする優しい顔の女の子だった。
「どうしたの、こんなに早く」
 男優も女優も遅刻の常習者だ。三十分の遅刻は時間通りだと思うぐらいのものなのだ。間違っても一時間前に見ることなどなかった。
「いつも早く来ているって聞いて、本当かどうか確かめたかったんです」
「本当だよ。早く来る病気だから」
 彼女は笑いながら四人掛けの席の筆者の隣に座り、そして、チョコレートパフェを頼んだ。モデルは何を頼んでもいいのだ。食事をしても怒られない。スタッフの筆者がそれをすればヒンシュクものなのだが。
「どうして、早く来るんですか」
「だから、遅刻恐怖症という病気だからだよ」
「そんな病気あるんですか」
 ない。ないが、筆者はそうした病気なのだ。いつもの新宿だから一時間前なのであって、慣れない場所での待ち合わせなら二時間前から現場周辺にいるのだ。
「何でも病気なんだよ。遅刻するのは遅刻病、遅刻しないのは遅刻恐怖症。今日来る連中はスケベ病。今日のメイクさんは潔癖症で編集長は変態症。カメラマンはイライラ病。遅刻恐怖症ぐらい、どうということのない病気でしょ」
 そんなことを言いながら、隣でチョコレートパフェを食べる女の子を見つめた。前回の撮影で、筆者はこの女の子を本気で泣かしてしまったのだということを思い出した。無許可なのに、口の中で放尿したのだ。突然のことで彼女は泣き出してしまったのだ。当然と言えば当然だが、本気で泣く女はビデオでも雑誌でも売れたのだ。筆者が今日の撮影にもいるということは、彼女も聞いていただろうに、思えばよく来たものだ。
「美味しいよ」
 そう言って彼女はチョコレートをスプーンで掬って筆者の口に運んだ。確かに、それ以上の関係を持っているのだ。舐めさせた、舐めた、入れた、放尿までした。今さら間接キスが何だと言うのだ。おかしい、おかしいのだが、ドキドキとさせられていた。
 時計を見ると、まだ、九時を少し過ぎたばかりだった。
 そんな素敵な状況の中、筆者は、ああ、どうせ皆は時間通りに来ないのだから、この子と一時間以上も二人で喫茶店で隣合って座ったままになるのか、何をどう過ごせばいいのだろうか、と、そう悩んでいた。
 素敵な状況なのだ。しかし、そんな状況を苦痛と感じる、だから筆者はエロ本屋だったのだ。

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