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2018年12月05日01:10

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午前八時のエロ本屋

 午前八時も筆者はエロ本屋だった。
 撮影が飛ぶ、と、当時は確かにそう言っていた。青ざめた顔の男が公衆電話と集合場所の新宿スバル前の路上を往復する。男は別の場所で、その日のモデルと三十分前に待ち合わせしていたらしいがモデルの女が現れなかったのだ。撮影は飛んでしまっているというのに八時を過ぎると次々とスタッフがやって来る。メイク、スタイリスト、編集者、編集長、カメラマンとカメラマン助手。大がかりな撮影だった。男優はたいてい最後のほうに現れる。つまり、男優がそこに来てモデルの女がいなければ撮影は終わりなのだ。車も三台並んだ。カメラマンはたいてい笑っている。編集者と編集長はあわてている。何よりもマネージャーと言われている男が悲惨な状態となる。編集長から責められ、カメラマンに同情される。筆者もたいていは編集サイドなのだが、自分の雑誌や本でなければ、気楽なものなのだ。それよりも、何よりも、眠い。午前八時はエロ本屋にとって、一日でもっとも眠い時間かもしれないのだ。普段なら、たとえ会社だろうが、サウナだろうが、喫茶店だろうが寝ている時間なのだ。
 エロ業界のマネージャーと言われる男たちは、そうした事態に備えて複数の女を用意している。たくさんの生写真を持ち、これから呼べそうな女を物色する。編集長とカメラマンが新宿駅前の路上で生写真を物色。予定していた女よりも良い女の写真ばかりを選ぶ。
 その度に、マネージャーは、女を口説くために公衆電話に走る。たいていはまとまらない。
 撮影には行きたい。撮影に行けば、また、女の裸を見ることが出来るのだ。しかし、何しろその時間は眠い。撮影に行きたいという気持ち以上に眠いのだ。飛べ、と、どこかで願っている。撮影がなくなったらどこで眠ろうとかと考えている。サウナか、贅沢してホテルか、一度、家に帰るか、会社にもどって応接ソファーか。
 筆者が寝ることばかり考えている間。男優はメイクの女やスタイリストの女を口説いている。撮影がなくなったら、そのままホテルに行こうと言うのだ。まあ、男優の出来ない筆者の僻みではあるのだろうが、男優とは、けっこう気楽な稼業に筆者には見えた。
 午前八時にはじまったドタバタは二時間ぐらい続く。そして、寂しく解散する。男優が女を口説けたのかどうかは分からない。車が一台、また一台と消えて行く。その間に、芸能界らしい集団の車は車から一度も降りないタレントを乗せたまま、颯爽と去って行ったりする。ただでさえ惨めなのに、より、惨めな気持ちとなる。ただ、その一方で、これで眠れるのだ、と、そんな気持ちにもなっているのだから、困ったものだ。
 最後の最後まで顔を青ざめさせて、頭を何度も何度も下げ続けたマネージャーと筆者だけが現場に残った。彼は筆者にも「本当にすみません」と、頭を下げた。皆、ギャラにならない。編集者サイドはスタジオなどのキャンセル料を負担することになる。しかし、それらをマネージャーに請求することは、筆者の知る限りは一度もなかった。何故なら、彼らが女を連れて来てくれるからこそ成り立っている業界だと良く知っていたからなのだ。
「コーヒーでも、行きます」
 筆者が言うと、その男はご馳走させてください、と、言った。そうは言うが絶対に支払いはこちらになる。それほど彼らは大切な存在だったのだ。
 そうして、筆者は、結局は、眠らぬまま、一日をはじめるのだった。あの男優は今ごろ、あのメイクの可愛い女とホテルかな、と、想像しながら、ようやく血色のもどったマネージャーと言われる男とコーヒーを飲みながら、午後の打ち合わせまでの時間をつぶすのだ。たいていのマネージャーは女に対してはおしゃべりだが、男相手には寡黙なものだった。男を笑わせ、場を和ませるのは、筆者の役割りだった。こちらは、男に対してはおしゃべりなくせに、女の前ではどうにも寡黙になってしまうものだから。
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