デジタルというものには境がないように思う。仕切りはあるかもしれないが、その仕切りはゼロなのだ。つまり無に等しいのだ。ゼロと一の間というものがないのだ。デジタルは色にもグラデーションがない。白と黒の中間、白でもなく黒でもないのに、白のようであり黒のようでもある、そんな曖昧な色はないのだ。グレーはあるが、白と黒の中間の色はないのだ。そんな曖昧がデジタルにはないのだ。デジタルは分類は細かい。黒と白の間に無数の別の色を配置することが可能だ。その配置によってグラデーションがそこにあるかのように錯覚させることも出来る。しかし、筆者が好きなのは、その曖昧な色なのだ。
曖昧と言えば、マニアというものは二つのタイプに分かれた。一つは、性的嗜好がはっきりしているタイプなのだ。つまり、自分の性癖以外のことには、いっさい興味がないというタイプ。SならS。МならМ。緊縛しかしないとか、鞭にしか興味ないとか、スカトロだけとか。もう一つは、そうした嗜好が曖昧なタイプ。拘りはあるのだが、その拘りの幅が広いのだ。Sだと言いながらМもやれば、Мだと言いながら緊縛したりもする。
そうしたマニアのことが筆者には分からなかった。今、女王様の尻の下で飽満な幸福の中に顔を埋めている男は先日はSだと言って女を緊縛していた。その男の顔に尻をのせている女王様は先日は別の男の鞭を受けていた。そんなことは珍しいことではなかったのだ。SもМも気分でやる。人間はデジタルではないので、そのあたりは曖昧でいいのかもしれない。
「その人は何色」というタイトルで、そんな曖昧だった性癖で、筆者を驚かせたものについて書いて行くというのも面白いかもしれない。
「私はSだから」と、言いながら女王様の尻の下で黄金を顔で受けていた男がいた。男は悶絶しながら「Sなのに」とか「Sなんですよ」と、必死に叫んでいた。不思議な光景だった。しかし、興味深かたった。
そんな話を書いて行くのだ。
いや、それは多面的であって、曖昧というものではないかもしれない。境界というのとも少し違うかもしれない、もう少し考えよう。
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