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2017年12月05日01:06

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時代に埋もれた喫茶店(その10)

 赤坂に面白い喫茶店があった。面白いと言っても、外装も内装も普通の喫茶店で、コーヒーは少し美味しい程度。別に変わった物があるわけでもなく、変わった音楽を流しているということもなかった。
 ただ、その喫茶店。いつ行っても、お客の半分ぐらいが何かを書いているのだ。今では、お客の半分がモバイルを置いているのは珍しくない。しかし、あの頃は、まだ、ノートPCを喫茶店で使う人は、あまりいなかったのだ。モバイル型のワープロを使う人も、ほとんどいなかった。そんな頃に、お客の半分がモバイルをテーブルに置いている店など、まず、あるものではなかった。
 モバイルだけではない。中には原稿用紙をテーブルに置いて万年筆で何かを書いている人もいた。筆者はモバイルを使っていたので、そうした人に、漢字を聞かれたりもした。モバイルなら変換可能だからだ。近くに出版社があるというわけでもないだろうし、その喫茶店が特別に落ち着くというわけでもなかった。
 筆者はたいてい、赤坂にあった家族的なSМクラブの取材の後にそこを使っていた。
 そのSМクラブのママはかなり老齢だった。しかし、このママが筆者は大好きだった。彼女には女としての魅力を感じていたのだ。ゆえに、たいていは取材時間に遅れる風俗嬢には腹を立てたものだが、そのSМクラブだけは、女の子が遅れることを願ったりしていた。ママとは昔話ばかりしていた気がする。昭和の中頃の音楽や映画や小説の話。ママはけっこうな読書家だった。
 そんなママだからだろうか。そこで働く女の子たちも、どこか家庭的で落ち着けた。それでいて、皆がスケベだった。
 ときどき、筆者は、実家にいたときの自分を思い出そうとして、そのSМクラブにいたときの自分を思い出していることがある。実家にあった座椅子が、と、そう思い出して、ああ、あれは実家じゃない、あの店だった、と、そう思うのだ。
 風俗店が家庭的になってしまえば、普通はエロが薄れるものだが、逆に濃くなる店もあるのだ。取材をしている最中に、スケベ過ぎる女の子と、取材を超えたプレイに至ることがあると、ものすごく後ろめたい気持ちになった。ママにないしょで、と、その言葉が何ともエロティックになるからなのだ。
 もしかしたら、あのママがいたから、あの女の子たちが集まってのかもしれない。そういえば、その喫茶店も、そこで何かを書く人たちが増えたから、ますます、そうした人たちが集まるようになっただけなのかもしれない。
 店が何かをしているわけではないのに、同じ傾向の人が集まる。そんな素敵な現象。そんな現象が、最近は、めっきり見られなくなったように思う。寂しいことだ。

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