mixiユーザー(id:2938771)

2017年11月16日17:46

203 view

十二月書き方課題小説

 化学繊維が焦げたような臭いの中で目が覚めた。寝ているのはベッドの上ではない。そもそも、最後にベッドで目覚めたのがいつのことだったのかも忘れてしまった。三日前だったか、一か月前のことだったか。左腕が触れているのはモルタルの壁。右腕が触れているのはブロック塀。足は投げ捨てられた元便器だったものに乗っている。
 全身にある痛みは塀から落下したためのものではない。殴られ蹴られた痛みなのだ。時計もスマホもすでに持っていなかった。ズボンの後ろポケットに入れられた財布はあるが中身にしれている。終わったのだ、と、そう思った。そう思ったら少し気楽になった。全身の痛みが少し和らいだ気もした。
 このまま死ぬのも悪くない、そう思って、まるで映画か何かで見た高貴な人が死ぬときの真似をして胸に手をやると、小さな塊に触れた。本のようだ。この工場裏のような場所に逃げ込み、塀から落ちたときにすでに持っていたのか、それとも、ここにあったものを気を失う瞬間に胸に置いたものか、それを思い出すことは出来なかった。
 本は「あなたも霊媒師になれる」というタイトルの文庫本だった。この薄汚れた狭い空間に捨てられているのが、いかにも似合う本のタイトルではないか。私はそれを手にとり、仰向けに倒れたまま本のページをめくった。
 人生の最後をこんな薄汚い場所で迎えることになるなら、せめて、最後に手にする本は最高に美しい物、どこかの山とか城とか、花の写真集か何かがよかった。いや、このまま私が朽ちても本は残るだろうから、それなら、せめてエロ本でないだけよかったと思うべきか、と、そんなことを考えながら目次を見た。霊媒は霊を理解しなければならない。霊媒は霊に好かれなければならない。霊媒は霊に同情的でなければならない。霊媒は霊のためにその人生を捧げなければならない。そんな小見出しが並んでいた。これが最後に手に取るような本なのだろうか。何とついてない人生だろうかと自分を恨んだ。
 これは善人は他人を、と、そう置き換えれば、ただの道徳的な啓蒙本でしかないのだ。騙された。騙された、この感覚を私は、これ以前にも経験している。
 それを思い出そうとするのだが、思い出そうとする度に首と顎とそして、右頭部に痛みが走った。
 確かに、組の金を持ち逃げしたのは私が悪い。しかし、ここまで殴らなくてもいいじゃないか、と、そう思った。いや、それだけですんだのは、組長が金だけの問題だと思っていたからなのだ。今頃は組長の娘といい仲になっているのがバレている頃だ。それで命は終わりだ。何しろ組長の娘はまだ高校生なのだから。だから私は事務所に連行されるわけには行かなかったのだ。
 それにしても単純な娘だった。ちょっとしたお告げ話をコロっと信じ、怯え、そして、私に抱かれてしまったのだから。
 思い出した。高校生の時だった。アイドルのエッセイ本を買いに書店に行って、そばにあった「あなたも霊媒師になれる」という本に興味を持ってしまって、それを買ってしまったのだった。あの時の本だ。確かに、これはあの時の本だ。そして、その本に騙されたと感じて以来、ずっと、他人が信用出来なくなってしまったのだ。騙される人間ではなく、騙す人間になってやると思い続けて生きて来たのだ。
 高校在学中に、考えられる、あらゆる悪いことをした。詐欺は特によくやったことの一つだった。老人も騙して来た。同級生の女の子を騙して裏ビデオに出演させたこともあった。
 いや、違う。あの本の責任じゃない。そういう人生を自ら望んでいたのに違いないのだ。どうせ勉強も出来ないし、スポーツも出来ないし、ケンカも弱く、女にもモテなかったのだから、この程度の人生が相応しかったのだ。ヤクザにさえ満足になれなかった人生。それでも、思えば楽しいこともあった。楽しいこともあったのだ。
 このまま、このまま、私は、やっぱり、死んで行くのだろうか。ああ、それにしても組長の娘は可愛い子だったなあ。あれで組と関係なければアイドルにだってなれたろうに、そう考えるとあの子も気の毒だ。
 それにしても焦げ臭い。
「それにしても、どうして、あんなところで」
「それにしても、あの子、詩なんかに興味があったのかしら」
「まさか、だって、ごくごく普通の子だったんだからなあ」
 普通の子。それが私のコンプレックスだったんだ。相変わらず、この両親は私のことを理解していないようだ。
 それにしても、これが死というものなのだろうか。ここは、おそらく火葬場、私の肉体は焼かれているのに違いない。そして、私は霊体となって、それを見ているのだ。いや、しかし、詩とは何だろうか。私が死の間際に拾った本は高校生の時に騙されて買ったところの「あなたも霊媒師になれる」というインチキ本のはずだ。
「ねえねえ、あいつ、ホモだったの」
「なんでだよ。声、もう少し小さくしろよ。誰かに聞こえるだろう。そんなこと、どうして思うんだよ」
 歳の近い従兄弟と一つ下の妹だ。妹は一つ下。一つ下の妹はどうしたのだろうか。セーラー服のままだ。いくらヤクザな兄とはいえ、兄の葬儀にコスプレはないだろう。それに、何だ、どうして私がホモだと言うのか。私が騙したのは組長の娘だ。あれは娘だ。息子じゃない。
「知らないの」
「何がだよ」
「ランボーの『地獄の季節』はホモの詩ばかりなんだよ」
 ランボーの『地獄の季節』なんて、そんな本は知らない。
「それにしても、詩集を持ったまま、つぶれた銭湯の裏なんかで、いったい何をしていたんだろうねえ」
 父親の声だ。
「銭湯がやっている頃なら覗きということもあるだろうが、何しろ、銭湯がつぶれているのは、あいつも知っていただろうからなあ」
 彼は何を言っているのだろうか。覗き、そんな趣味、私にはない。
「それにしても、早過ぎるますよ。まだ、高校生。親より先に逝くなんてねえ。本当に親不幸な子ですよ」
「妹のアザミと違い、素直ないい子だったからなあ。もしかしたら、これが、あいつの最初で最後の反抗だったのかもしれないな」
 高校生。それじゃあ、これまでの私の人生は。
 まあ、いいか、どうせ人生なんてインチキな道化芝居なんだろうから。
 それにしても、読んだこともないのに、どうして、『地獄の季節』だったのだろうか。ああそうか。これから行くからか。

他の人の作品はhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1213631&id=84473365#comment_id_1502662183
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年11月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930