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2017年11月14日17:13

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さらに企画を進めよう(その3)

 書評や映画評、ビデオ評を依頼されることがあった。筆者は基本的にそうした仕事は断っていた。小説も映画も、筆者などに何か言われるのは不本意だろうな、と、そう思ったからだ。褒めているから、薦めているから良い、と、そう言われることもあったが、筆者は他人の作品を褒めるほど偉い人ではないし、他人に何かを薦めていいほどの、しっかりとした価値基準も持ち合わせていない。
 では、自分の感じたままを書いてもらえば、と、そう言って依頼して来る編集者もあったが、誰が筆者の感じたままを知りたいというのか、そこが疑問だから、そうした依頼は、特に強く断っていたのである。
 しかし、やりたかったこともある。
 それは書評でも、映画評でもいいから、筆者ならそこはこう書くとか、筆者ならそこはこう撮るね、と、そういう企画ならやりたかった。もちろん、この企画を通してくれる雑誌はなかった。もし、タイトルを出して失礼なら、タイトル抜きでやろうと持ち掛けたら怒られた。
 じゃあ、せめて、読んだり、観たりしている間に何を食べたくなったのか、それも、どこの何かを正確に書くという企画でやらせて欲しいと言ったが、それを聞いた編集者の怒りには拍車がかかった。グルメと同時に出来てお得だと思ったのだが。
 普通のことは出来ないのか、と、怒られたので、普通のことが出来るぐらいなら、出版になど入らなかった、と、そう言ったら、そのまま、二度と仕事も来ないし、付き合いも途絶えてしまった。
 筆者だからこその書き方が出来ない批評なら、きちんと批評の出来る専門家に頼むべきだし、そんな専門家が書評も映画評もやっているのだから、その後ろで筆者が何かを書くのは、むしろ、みっともないことになるのだ。どうせ、そうした専門家の足元にも及ばないのだから。
 あの頃。どうせ怒られるので、ついに、言い出せない批評企画があった。この小説をコモドオオトカゲが読んだら、この映画をカブトムシが観たら、と、そんな企画をやりたかったのだ。ゴジラを観るコモドオオトカゲの映画評とか、夏目漱石を読むシベリアンハスキーの話を書いてみたかったのだ。
 あの頃は出来なかったが、今は、筆者も勝手な身分になったので、やってもいいのかもしれない。
 いや、もう少し考えようか。
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