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2017年04月01日16:00

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アブ街あの頃(その10)

 横浜のSМ風俗は東京のそれとは少しだけ違っていた。もし、東京が名店とファミレスだとするなら、横浜はオーナーシェフの店が多いと、そんな喩えはダメだろうか。
 確かに、東京にもオーナーやママの拘りのSМクラブはあった。しかし、どうしても、他のクラブと競合するために、似たようなものになってしまうところがあったのだ。
 都心から少し離れると、その競合の枷が外れるのだ。横浜よりもさらにローカルな駅にもSМクラブがあり、それはそれで面白いのだが、そのことは、また、別のチャンスに書くことにしよう。
 横浜は主流ではないが、ローカルでもない。六本木ほどではないが、お洒落さもある。そして、新大久保ほどではないが家庭的でもある。つまり、両方のよさを同時に持つのが横浜のSМクラブだったと筆者は思っていた。
 また、東京のSМクラブには見られない大きな特徴も横浜にはあった。それは地元の風俗嬢がいるということなのだ。これは六本木では、ほとんど見られないし、新宿や池袋でもないものだった。
 そして、生まれ育ったところでSМをしようとしているということは、これは、かなりのマニアだったということなのだ。同じ理由なのかもしれないが、ママも地元の人が多かった。そして、だからなのだろうか。横浜のSМクラブには女性的という特徴もあったのだ。それはプレイルームやプレイメニューに出ていた。幼児プレイがSМクラブとして取り入れらるのも筆者の記憶では横浜である。
 ラブホテルよりもルームを主体にしていたので、風営法以来、その数は減って行くことになるが、筆者は横浜のSМクラブのプレイルームなのに、どことなく家庭的という、その雰囲気がたまらなく好きだった。
 京浜東北線の、もう一方の鬼門の出口である上野はどうだったのか。次回はそれについて書くことにしよう。
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