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2017年03月30日15:52

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アブ街あの頃(その8)

 六本木がおしゃれさと優雅さを求めるSМ風俗だったとするなら、新大久保は家庭的なSМが求められていたような気がする。
 筆者は六本木という街が好きだった。そして、六本木のSМクラブのママたちと遊ぶのも好きだった。しかし、それは若く積極的な遊びであり、力の入るビジネスであり、激しく疲労させられるものでもあった。取材だけでなく、遊んでいてさえ疲労させられるのだった。
 六本木のSМクラブの女性たちは、おしゃれな恰好をしていた。六本木に通勤して来るわけだし、店が終わるとそのまま六本木で遊ぶのだから当然だったのかもしれない。昔の六本木は今とは違い、無言のドレスコードがあったのだ。
 それに対し、新大久保は気楽だった。住宅街も近く、新宿よりもさらに日常に近い雰囲気の街だったのだ。今は異国情緒になっているが、昔は、ただ、新宿の隣にしては発展途上な街だったのだ。しかし、仮にも新宿の隣であるから便利はいいのだ。
 そこに出来たSМクラブの多くは、マニアが経営するもので、いわゆる金銭目的の業者というものは少なかったように思う。特別に親しくしてもらっていたママがいたが、彼女と遊んでいると六本木での緊張が癒される思いがしたものだった。
 だからなのだろうか。新大久保は意外とSМの王道というよりは、少しマニアックに逸れたクラブが集まっていたように思う。
 これは筆者の勝手なイメージなのだが、六本木ではクラブのルールで遊ばなければならないものが、新大久保なら、自分の性を晒し、そのルールで遊んでもらえる、と、そんな違いがあったように思うのだ。
 しかし、家庭的という理由からだろうか、あまり冒険的ではなかった。SМクラブとしてもっとも冒険的な街は関東では、池袋ではなかったろうか。では、次回は池袋に。
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