今回の辞典はいつもに比べて時間をかけ過ぎたように思う。そこで休憩のエッセイを挟もうかと思う。いつもなら、ここで次の企画について、あれこれとアイディアを語るところなのだが、それは止めて、エッセイを書こうかと思う。
ただ、エッセイというものを、ダラダラと思いつくままに書いていたのでは、ただの日記になってしまうし、ただの日記を有名人でもない筆者が発表する意味も分からないので、それは止めておく。
そもそも、たいした人物でもないのに、どうして自分の日常を皆が知りたがっていると思っているのか、そこが筆者には分からない。
筆者の趣味は何か、筆者の好きな料理は何か、今日は何を食べたのか、明日はどこに行くのか、そんなことに興味のある人はいないだろう。筆者がアイドルだとか犯罪者でもないかぎりは。そして、筆者はどう考えてもアイドルでも犯罪者でもないのだ。
エッセイといっても、発表するからには、何かの意味がいる。そこで、こんなことについて、エッセイを書いてみようかと思っている。
男と女はどこで入れ替わったのか。いつ入れ替わったのか、そこについて。もちろん、生物学的には入れ替わっていない。だが、何かが違っているように筆者には思えるのだ。しかも、それは遠い昔からのことではなく、この五年とか六年の間に違って来たように感じるのだ。
鹿鳴館サロンは十年を過ぎた。その十年の間にも、男と女は何かが入れ替わったように感じるのだ。
感じるだけだ。
しかし、エッセイとは、まさに、この感覚を表現するための文章だろうと思うので、これを書いてみたいのだ。そして、筆者の感覚が筆者だけのものなのか、それとも、本当に、何かが違ったのか、それについて、考えてみたいのだ。
そこで、はじめようかと思う「褌女とスカート男」というタイトルのエッセイを。
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