他人の夢の話を聞かされるほど退屈なことはない。ときとして、他人の性の話を聞かされるときにも、同じぐらい退屈なことがある。たいていの話が何の変化もない湖の水面を眺め続けさせられるような退屈に似たものだからなのだ。
ところが、ときどき、その水面が透けて見えることがある。何の変化もないと思った水面の少し下を泳ぐ巨大な鯉を見つけたりする。よくよく見ると、水面にはアメンボがいたりする。これはこれで、なかなか面白いと、飽きずに湖を眺め続けることがある。
それと同じように、他人の性のどうでもいい話の中にも、これはこれで、と、そう思う話がある。話は退屈な湖の水面のようなのに、何かの拍子に、意外と深い底が見えて来たりすることがある。
他人の夢の深層にもぐりこもうとした学者たちがいた。それは無理なことだ。
まるで、冬の夜の湖を眺めながら、何の準備もなしに、その湖に身を落とすような行為である。そんなことをしても、何も見えないし、寒いばかりだ。
しかし、そっと覗いて光を入れるぐらいなら、他人の夢もけっこう面白いのかもしれない。他人の性なら、なおさらに……。
さて、どうでもいい話は、どうでもいいので、このあたりにしておこう。
ログインしてコメントを確認・投稿する