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2016年12月05日16:03

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話すほどでは(その5)

 SМクラブの取材をしているとき、そこに来るさまざまなお客の話を聞かされた。話を聞いていると、その人には、ぜひ、会ってみたい、と、そう思う人が多くいた。そうした人たちに筆者はメッセージを残していた。今のようにネットがないので、メッセージはSМクラブに置いてもらうしかなかった。
 ユニットバスの男と呼ばれていた老人がいた。その男はSМクラブのユニットバスのバスタブに縛られたまま放置されたがったそうだ。放置は長時間になるので、料金もそれなりに支払っていたと聞いた。トイレに放置されたいという男は少なくない。そうしたМの性癖は筆者にも分からなくはない。しかし、どうして、ユニットバスのバスタブなのか。そこが筆者には不思議だったのだ。
 あるSМクラブに残した筆者のメッセージに答えて彼は電話をくれた。筆者と彼は新宿の広く古く人の少ない喫茶店で会った。彼は初老の紳士という雰囲気だった。高級そうなスーツをきちんと着こなしていた。上着を脱いだときに、チラリと名前が入っているのが見えた。仕立てなのだ。
 彼は意外なほど饒舌に話をしてくれた。SМ小説の話や、筆者がライターになる以前にやっていたビデオメーカーの作品の話で盛り上がった。彼は筆者のビデオ作品のファンで、何本も購入したと言ってくれた。その頃は、レンタルビデオはなく、そうしたビデオは買うしかなかったのだ。
 しかし、筆者のメーカーには女王様モノはなかった。
「私、別に、Мじゃないんですよ。ただ、バスタブに監禁してくれって内容だとМ男だと言っておいたほうが話が通じやすいでしょ。あなたの撮っていたビデオね。あれって、堂々とカメラを置いた盗撮ですよね」
 筆者は驚いた。その通りだったのだ。筆者はストーリーを撮っているふりをしながらドキュメントを撮っていた。ストーリーとは別の罠を用意して女の子の生の反応、生の声を撮りたかったのだ。
「ユニットバスならお店の女の子はトイレに来るじゃないですか。その音を聞くんですよ。トイレに来なくてもね。お店の中の会話が少しだけ聞こえるんですよ。少しでいいんですよ。本当は聞こえてないかもしれないし、聞こえたと思った会話も違っているかもしれないんですけどね。それがいいんですよ。聞くのがいいんです」
 だからトイレにではなくバスタブだったのだ。しかし、排泄を見たくはないのだろうか、筆者はそう思った。筆者なら、せっかく高いお金を払うなら女の子たちの排泄が見られないまでも、排泄しているその顔ぐらい見たいと思うに違いないのだ。
「それはね。あなたがテレビ世代だからじゃないですかね。私はラジオ世代ですから。音だけでいいんですよ。いえ、音だけだからいいんです」
 面白い考え方をする人だと思った。話が盛り上がったので、また、時間があればお会いしましょう、と、社交辞令半分で筆者が言うと、彼は言った。
「いえ、一度でいいんですよ。一度きりの話で、どこかであなたが私のことを書いていると思うのがいいんです。あなたの書いたものを読んで、これは自分のことかもしれない、と、そう思うのがいいんです。その答えを私は知らないほうがいいんですよ」
 筆者は、ああ、この人は遊びの達人なのだ、と、そう思った。
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