厚い雲を抜けると眼下に見えてきた熊本平野の農村地帯。
気のせいだろうか、青い屋根が目立って多い。
インカ帝国のクスコで見た赤い屋根をふと思い出した。
あれは、確か赤土を練って瓦にしているからとか、誰かが言っていた。
では、ここ熊本の青い屋根はなに?
高度を下げていくANA機。
ふと、愕然として“とんでもない”とひとり口走る。
この青さはすべてがブルーシートで、壊れ落ちた屋根瓦の代わりや、相変わらずやまない余震に耐えるために已む無くこうしているだけなのだ。
阿蘇くまもと空港へは10分遅れの10時25分にランディング。
まだ、なのか、もう、なのか。2ヶ月前の4月16日。
2度目の本震で被害を蒙った空港ターミナルの一部は今もシートがかけられていて、観光案内もレンタカーも仮カウンターでの対応だ。
それにしても、くまもんの笑顔が優しい。
レンタカーのお兄さんに無礼を承知で益城町への道順を尋ねる。
空港自体が「益城町」そのもので、避難所になっている体育館へは県道・市道を『コ』の字に曲がったところ。
「ぜひ、元気を与えてあげてください」
およそ10分。
車が『コ』の字、最後の曲がり角に差し掛かった十字路。
見えたものはテレビ画面で見るよりも衝撃的な木造民家の倒壊現場だ。
現場は1つや2つではない。
大黒柱2本を残して、屋根に押しつぶされた家、赤い張り紙が貼られた家の中が丸見え(それも散乱したまま)の家…
運転中だというのに、涙があふれてきた。
3・11後に被災地を訪ねていないバチがこの涙に表れた。
戦争なんて知らないけど、これは戦争なの?
自分はキャパにはなれないな。倒壊した建物にカメラを向けることなどできなかった。
視界がぼやけたままだったが、すぐに体育館が見つかった。
駐車場には、多くの被災者が車内で生活をしていたし、体育館に入るとそこはまるで病院の個室のように、カーテンで仕切られていてしわぶき一つしない。
10時からのアイスクリーム配給に人々が列を作り、ボランティアスタッフからマッサージを受けているおばあさんは、
「あぁ、気持ちいい。もう帰りたくないわ
」と、笑顔。(涙)。
大地震に、止まぬ余震。そして、昨日までの豪雨と土砂崩れ。
道路のそこかしこが車線規制でカラーコーンが置かれている。
重機の存在が目立たないのは、日曜日ならなのか、それとも更なる被害で手がつけられていないのか。
昨日からオープンしたという、被災商店が集まって仮営業を行う『益城町復興市場・屋台村』。
今朝、ノープランのまま飛行機に乗った時点では、るるぶ熊本を読みながら、”さて、どこへ観光しようか”“さて、昼メシにはどんな美味しいものを食ってやろうか”と、ひとりほくそ笑んでいたのが事実。
益城町の体育館で「血圧が下がったよ
」と、ぼくに笑顔で話してくれたおばあちゃん。
屋台村で買った昼メシを抱えていたら「弁当あっためてあげようか
」と電子レンジに入れたはいいが、5分ほどほったらかしにしやがった元気なおじさん。
テレビクルーの取材で向けられたマイクに、ボランティアや屋台村へやってきた観光客への感謝の言葉しか話さないお茶屋さん。
人間って、なんて強いのだろう。
そして、弁当って、なんて熱いのだろう
さて、熊本の人々のために、ぼくは何ができるのか。
とりあえず、今日は余震も雨もない。
■益城町に仮設商店街オープン 15店「ここから元気を」
(朝日新聞デジタル - 06月25日 22:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4062272
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