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2015年05月09日18:57

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百日紅

 杉浦日向子の原作は未読なのですが、「クレヨンしんちゃん」「はじまりのみち」の原恵一監督作品と聞いて大急ぎで観てきました。

 絵師・葛飾北斎とその娘・お栄の日々の暮らしを淡々と描いた本作、さほど大きな事件も起こらずドラマチックな展開もなく、極めてフラットな構成で作られているのですが、人の世とあの世、こちらとあちらの境界が曖昧な世界に漂うように生きる人々を活写する姿勢が面白く、大変魅力的な作品になっていました。

 特に興味深かったのが、ある大店のためにお栄が描いた地獄絵をめぐるエピソード。
 とても重厚な出来映えに店の主人は満足なのですが、その絵のせいで店の女将の様子がだんだんおかしくなっていきます。絵の中から亡者の声が聞こえる、行灯の灯りの中から黒い手が伸びてくるといった怪異に女将はおびえきってしまうのですが、周囲の者は気の病だと取り合いません。しかし、彼女が狂乱のあまり小火を出してしまうに至って、件の地獄絵を何とかせねば、ということになってしまいます。
 それを聞いた北斎はお栄に「地獄絵の下絵を持って来い」と言いつけ、それを一目見るや「こんなことだろうと思った。だからおめえはまだ半人前だっていうんだ」。
 そして北斎は地獄絵にあるものを描き足します。
 それは、地獄の餓鬼にやさしく微笑む仏の姿でした。
 以来、女将を苦しめる怪異はぱったり沙汰止みになるのです。

 地獄であろうとどこであろうと、罪人であろうとそうでなかろうと、衆生は救われねばならない。
 北斎はきっとそう考えたのでしょうね。

 以前、宮崎駿が「ダメな社会をただダメなものと描くのは最低。そんな社会にも希望はある、救いはあるんだという作品を作らなければ」といった意味の発言をしていました。この考えは、本作の北斎と相通ずるものがあります。
 お栄が描いた地獄は確かに「罪人はすべからくこうなる」という戒めの意を込めた、見る者を戦慄させずにはおかないものでした。しかし彼女は忘れていたのです。償いきれない罪はない、罪を償った罪人は救われねばならない、それが人の世だ、ということを。

 絵を描く以外のことはからっきしダメ、生まれつき視力を持たず身体の弱い末娘・お猶に正面から向かい合えない情けない父親である北斎ですが、同時に彼は世間知というものをしっかり持った、一種の「達人」だったと言えるでしょう。

 本作には他にも魅力的なエピソードがたくさんありますし、江戸の風俗描写にも見どころがたっぷり。
 各シーンによって画面のクオリティに若干の差がある等、多少の瑕疵はありますが、とても可笑しく楽しく豊かなアニメーション作品でした。
 うん、満足満足。
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