間違っているはずがない、と、その根拠はどこにあるのか。考えてほしい。もし、あなたがルーレットの赤に駆け続け、何十回も連続で負けていたとしたら、次に来るのは黒だと思うのではないだろうか。迷子になるタイプというのは、まさに、そうした事態にあるということなのである。確率的に考えて間違いばかりが連続するはずがないのである。ゆえに、今回こそは当たっているはずだ、と、そう考えるのである。
当たっている。そう、まさに、この言葉こそが道に迷う人に相応しい言葉なのだ。道というものは合っているかいないかではなく、当たるか外れるかなのだ。
そうして考えるなら、筆者が悪いのは頭ではなく運だったということになる。運が悪い。思えば学生時代のテストは全て運が悪かったし、仕事でも運のいいことはなかったように思う。宝くじに当たったこともなければ、必勝法を自ら編み出したはずの競馬と競艇で負けている。これだけ運が悪いのだから、道の選択でも当たるはずがないのだ。運が悪ければ神頼みだが、頼めるだけの信仰心がない。信仰に運がないのだ。
ゆえに、先日も、クリーニング屋の角を左と言われて、コインランドリーの角を左に曲がっただけで道に迷うことになった。運は細かいことに拘るようなのだ。
さて、何が書きたかったのか、この話をどう性に結び付けようとしたのか、そのことを忘れている。運が悪いのだ。
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