ナウいヤングのフィーリングに耳をかたむけましょう…てなもんでありましょう、1982年ごろビクターが“MIKKE会”なるイベントを催していて、参加登録メンバーだった私は月に一度(あるいは隔月だったか)せっせと会場である阪急ファイブ・オレンジルームに足を運んでいたのでした。若者数十名限定の新譜試聴会、素敵な歌をMIKKE会(見つけようかい)ってことですね。
毎回、ビクターからリリースされる邦楽シングル曲をいくつか聴き(洋楽を聴いた記憶はあまりない)、曲ごとのアンケートに答え、用紙余白にはきたんのない感想を書き残すという2時間あまり、販促物をいろいろといただけたし、毎回マクドだったかロッテリアだったか忘れたけどハンバーガーのセットをパクつけたのも嬉しかったりで(これが参加の最大理由だったりして)。
1982年といえばアイドル全盛時、ビクターそして若者対象となるとどうしてもアイドル歌謡曲がメインになってました。松本伊代のデビュー第2弾「ラブ・ミーテンダー」なんかも俎上にあがっていて、私は『「センチメンタル・ジャーニー」〜「ラブ・ミー・テンダー」ときたから次のタイトルは「抱きしめたい」あたりですか?』なんて生意気なことを書いたりしていたのです。
またMIKKE会はデビューしたての新人歌手のプロモーションの場でもあったのです。白石まるみというアイドル歌手が緊張しつつすぐ目の前でデビュー曲を歌ったり、名前は忘れたけどちょっとイキッたフォーク歌手が弾き語りをしたこともありました。一番の後悔はたった一度だけ欠席したことがあり、そのときナマでデビュー曲を披露した新人歌手が小泉今日子だったことです!
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