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2022年06月28日14:48

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作家じゃないから、その12

 編集者と作家の違いを明らかにすることによって、作家、芸術家、という人たちについて書くつもりだったのに、結果として、編集者論になってしまった。
 筆者は、人間は三種類に分けられると思っている。作り手と賄と客。レストランなら、シェフとウエイターとお客。ビジネスも同じなのだ。製作と営業とお客。このシステムを破壊するものの一つがコンピュータだった。製作とお客をダイレクトに繋いだのだ。最近はファミレスもこのシステムを使用しウエイターの役割りをなくそうとしている。
 小説もそうなりそうだった。電子書籍の出現によって、作家と読者はダイレクトに繋がるかのように見えた。しかし、どうだろうか。
 結果として、読者の小説離れは進んだような気がする。ファミレスは万人に同じ味を提供する。これは実に平等で公平なシステムなのだ。ところが、相手が小食だろうと筋肉隆々の大男だろうと、子供だろうと老人だろうと同じものを提供するのだ。それは本当に平等で公平なシステムなのだろうか。
 筆者は愛らしい少年ではなかったはずなのに、若い頃には、ラーメン屋で余ったチャーシューをおまけしてもらったことが二回もあった。財布の心配をしながらカウンターの寿司屋で食べていると、ご飯の量を増やしてあるから、と、言われたことがあった。人間が人間に何かを提供しているのである。人間臭いことがあって当然なのだ。いけないことだとは思うが、ある寿司屋では、生意気な客から少し高く取って、お前みたいに無理してでも美味いもの食おうって若いのに、おまけするんだよ、と、言っていた。いいことではない。しかし、嬉しいことなのだ。しかし、そうしたことはカウンターを挟んでお客と直接に触れあえる店だから可能なのだ。レストランでは難しい。
 そこで、賄いの人が必要になってくるのだ。作家がいちいち読者のニーズを聞いてなどいられない。作家は読者のことなど考えていられない。ましてや、売れるかどうかを考えるような作家の小説はつまらない。作家には好きなものを好きなように書いてもらいたいのだ。しかし、読めない文章では意味がない。読み難いのではもったいない。いいものなのに読者の興味をそそらないのも惜しい。だから編集者がいるのだ。
 ラーメン屋や寿司屋のようにダイレクトにお客と接して上手くやれる人たちもいる。しかし、料理は得意だが接客は苦手という人もいるのだ。そんな人たちの料理が食べられないのは、もったいないのだ。
 ところが、最近は、編集者との接触さえ避けて製作し、ダイレクトに販売しようとしている作家が増えつつある。聞く耳のない作家。聞く気のない作家。作家はそれでいい。しかし、それなら、せめて作家は編集者を得て欲しい。編集者はいつだって作家の一番の読者であり、作家と読者のかすがいとしてそこにいるのだから。
 さて、結果として、作家について書くつもりが、最後の最後まで編集者論となってしまった。仕方ないのだ、何しろ筆者は作家じゃないのだから。
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