新・午前十時の映画祭にて上映のフランク・キャプラ監督作品「素晴らしき哉、人生!」を観てきました。
アメリカ製クリスマス映画の古典中の古典であります。
この映画、ファンにはよく知られているように、実に多くの作品に引用されております。
中でも印象的なのはジョー・ダンテ監督の「グレムリン」。
キッチンで「素晴らしき哉、人生」を観ていて涙ぐんでいる母親に主人公が「どうしたの?」と尋ねると「別に。ちょっと暗い映画を観ていただけ」と答えます。
そう、この映画、実はかなり暗い作品なのです。
夢と野心に溢れ、田舎町を飛び出して世界を股にかけて活躍したいと願う青年、ジョージ・ベイリーの不運と受難が130分の上映時間のうち約120分にわたって展開されるため(ところどころにささやかな幸福エピソードがあるにしても)全体的なトーンがかなり陰鬱なものになっているのです。
久しぶりに観直してみて、これでは公開当時アメリカで不評だったのもしかたないな、と思いました。終戦直後(製作は1946年)、こんな暗いファンタジーを観せられたら、そりゃ誰だって当惑するでしょう。
しかし、70年後の今になって観ると、この作品の持つ暗さがさらに一層切実で深刻なものになっていることに気づかされます。これは恐らく、監督のフランク・キャプラも予見できなかったことではないでしょうか。
それは、富める者の貧しい者に対する、尊大さ冷酷さの肥大です。
ベイリーの住む街、ベッドフォード・フィールズに君臨する実業家・ポッターは、不動産業、金融業、メディアや司法にまで影響を及ぼす実力者。彼の頭の中にあるのは「カネを殖やすこと」だけで、自分の事業を支えるために働く労働者への感謝や尊敬はカケラもありません。それどころか、低所得者層の人々を「怠け者」呼ばわりし、彼らが人並みの幸福を求めることなど贅沢でしかないと言い捨てます。そして、貧しい人々にも住宅を提供しようと懸命に住宅金融会社を経営するベイリーを「愚かな理想主義者」と侮蔑するのです。
こういう冷血漢って、今、たくさんいますよね?
政権を担当する政党の政治家、彼らとアンコになってるキャリア官僚、利権を貪る企業トップ、完全に民意から乖離しているマスコミや司法関係者。
彼らがメディアやブログ等を通じて垂れ流している言葉は、本作におけるポッターのそれと寸分の違いもありません。
生活保護受給者に心ない批難を浴びせ、競争力に乏しい企業を切り捨て、病人や障害者を「社会のコスト」呼ばわりすることに、何ら恥じる心を持たない思い上がり集団。
圧倒的多数の幸福にまったく寄与しない、卑劣な利益追求者の悪虐は今、「素晴らしき哉、人生!」の世界を遥かに凌駕して世界を覆っていると言えるのではないでしょうか。
今、主にネット上ですが、自分より不幸な他者に嘲りと憎悪の言葉を吐きかけることに暗い悦びを見出しているクソのような人間が多く存在しています。
そんな時代だからこそ、このダーク・ファンタジーはたくさんの人々、特に「白黒映画なんて古くさくて退屈そう」なんて言ってる若い人にこそ観てほしいと思います。
そして、不運だけれど善良なジョージ・ベイリーの人生を追体験しつつ、彼のもとに訪れた素晴らしい奇跡を同時体験してもらいたいです。
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