アカデミー賞国際長編映画賞並びに音響賞を受賞した「関心領域」、観てきました。
森と草原と川に囲まれた穏やかな土地に暮らす、裕福な家族。
夫は日々熱心に仕事に励み、妻は庭づくりに勤しみ、子どもたちは明るく遊び、学校に通います。
ある日、夫の栄転が決まり引っ越し話が持ち上がりますが、妻は大反対。やむなく夫は単身赴任し夫婦仲は怪しくなります。
それでも夫は頑張って大仕事をまとめ、妻に電話を。
「もうすぐ帰れるよ!待ってておくれ!」
夫の名は、ルドルフ・ヘス。
ナチ親衛隊の将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長として名を馳せた男でした。
ナチによる大量虐殺という背景がなければ「色々波風は立つけれど、それでもなんとかうまくやっていく家族を描いたホームドラマ」という体裁に見えてしまうような、実に実に、恐ろしい映画でした。
冒頭、真っ暗な画面の向こうから不気味な機械音が聞こえてきます。
いつまで経っても、画面は暗いまま。
やがて鳥の囀りや人の談笑の声がかすかに聞こえてきます。
それでも残る、ブーン、という低い音。
画面が明るくなり、川辺でのピクニックや立派な邸宅での暮らしぶりが次々に映し出されますが、例の音はずっと続きます。耳障りで鬱陶しい、不快な響き。でもなぜか、この家の家族も使用人も知らんふりです。そんな音など存在してないかのように。
とても平穏に見える、彼らの暮らし。
そこに少しづつ観客側に、その生活が何に支えられているかが画面の中から提示されて行きます。
テーブルの上に広げられ、女たちに山分けされる衣服がかつて誰のものであったか。
会話の中に出てくる「歯磨き粉の中に隠されたダイアモンド」とは。
男の子が遊び道具にしている義歯は何なのか。
映画はその由来を明らかにはしません。ただ淡々と画面上で展開してみせるのみ。そしてひたすら、登場人物たちがそういったものを当たり前のように享受して平然としている姿を描くのです。
これは、怖いです。
高い壁の向こう側で起こっていることには何ら関心がないだけでなく、自分たちの日常の一部として「さも当然」な感じで意思的に無視しているのですから。
でもこれは、過去のことではないですよね。
X(旧ツイッター)なんか見てると、いわゆる投資系アカウントやそれに同調している連中が、世界各地で起こっている紛争にはしゃぎまくっているのが目につきます。彼らにとっては紛争が大きければ大きいほどありがたいのでしょう。相場が動くのですから。
国内でも、外国人労働者や難民申請中の人々への悪罵がそこかしこで巻き起こっています。生きるための環境を求めて懸命な人々を犯罪者呼ばわりし、貶めることで「冴えない自分」を慰めている醜い連中。
ルドルフ・ヘスの一家と、今の私たちを取り巻く世界。
どれほどの差があるでしょう。
まるで暗視眼鏡でのぞいてみたかのような不思議な映像で描かれる、ある少女の奇妙な行動。夥しい量の灰(おそらくは虐殺の犠牲者の遺灰)の中にリンゴのようなものを埋め込んでいくのはなぜ?
おそらく、そこで作業させられる人々にそれを見つけてもらい、食べてもらおうとしているのでしょう。それも明確には説明されませんが。
ひどく効率が悪く、迂遠で、徒労にさえ見える行為ですが、しかし、だからこそ尊いとも思えます。
私たちは、どうでしょう。
そんなことしても無駄だよ、自己満足だろ?と冷笑するだけでしょうか。
それとも、「自分にも何かが」と考えるでしょうか。
混乱と戸惑いと、限りない思考の波を呼び起こす、稀有な作品でした。
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