それにしても・・・誰でしょうね、この「ソイレント・グリーン」をリバイバル上映しようなんて考えた人は。
いや、本当にいいところに目をつけたなあ、と感心してるんですよ。
公開当時もそれなりに製作意義はあったでしょうが、むしろ、作品世界の「2022年」を過ぎてしまった今こそ、観られるべき作品であると思うのです。
正直言って映画としては不出来です。
近未来SFに刑事もの、探偵ものの要素を持ち込むのはいいですが、その割には肝心の捜査過程に面白みがないし一本調子なのでさほど盛り上がりがなく、謎解きの興趣も不足です。
人口爆発で住居さえ確保できないという設定のためエキストラを大勢集める必要があったのでしょう、そちらに予算を割いたために美術がショボく、ブルドーザーによる群衆処理のシーンも一回だけという侘しさ。
早い話が、ワン・アイディアだけが見どころのディストピアSFという感じです。
ですが・・・。
本作が、不出来だからと無視できない存在感を持っていることもまた否定できません。
これは多分、製作者側も作った当時は想定してなかったことでしょう。それどころか「とりあえず今のトレンドはこう言う厭世的な映画なんで、手っ取り早く作っちまおう。流石にここまで酷い未来なんてあり得ないぜ」くらいにしか思って無かったのでは。
この種の映画って、作り手がどこか楽観的でないと作り得ないですもんね。
こんなことになっちゃマズい。でも、人間は賢い生き物だ。愚行を乗り越えて真っ当な選択肢を見つけるか、またはそれに向かって模索を続けるに違いない。
そう思ってなきゃ作れないでしょう、こんなもん。
しかしながら「ソイレント・グリーン」の描く世界に、今の世は限りなく近づいてしまいました。
とりあえず今のところ人間は、この地球上で生きてはいます。映画で描かれているような極端な「人間、多過ぎ!」な状況にはなっていません。
でもこのまま環境破壊が続いたら? カネを転がし儲けることしか考えない連中の専横を許し格差社会のさらなる拡大が続いたら?
ただ見た目が映画通りになってないだけで、実はあれとさほど変わらない世界に、すでになってるんじゃないかと思ってしまうのです。
お金を出しても、食料が手に入らなくなる時代。
それはもう、すぐそこに来ているのではないかと、スーパーやデパ地下で買い物をするたびに、思います。
チャールトン・ヘストンとエドワード・G・ロビンソンが、レタスやリンゴやビーフシチューを恭しく口に運び涙するシーンを自分たちがリアル世界で演ずることになるのではないかと、私は本気で心配しています。
今、世界的にカカオが不作で先物取引価格が数年前の4倍に高騰しているそうです。もしかしたら近いうちに、チョコレートが庶民の口に入らない高級品になるかも知れません。
日本の国土の耕作可能地域をすべて水田や畑にしてフル稼働しても、3000万人分の食料しか確保できないとも言われています。
肥料や作物の種まで輸入に頼って命を繋いでいる日本。
この国が「ソイレント・グリーン」のような社会になる日が来るのかも知れません。
その時、私たちの世代の人間は、本作のエドワード・G・ロビンソンのような選択をせねばならなくなるのではないでしょうか。
「人間はクソだった。だが世界は・・・美しかった」と呟きながら。
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