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2019年08月08日00:40

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小さな会話、その6

「寂しいしかないから」
 どうして彼女と新宿で酒を飲んでいたのかの記憶はない。雑誌の企画モデルというジャンルがあった。マニア雑誌であっても巻頭のグラビアのモデルは顔を出しているし、緊縛はされても、そう酷いことはされていない。しかし、本文ページの挿絵替わりのモデルは、目線を付けられるかわりに、かなり酷いことをされる。彼女はそんなモデルだった。
 編集部によっては、自分たちが楽しみたいなら彼女で撮影を組んで、何でも好きなことをするのだと、公然と言っていたものだった。彼女がいても公然とそう言っていたのだ。カメラなどなしでも、彼女は身体を提供した。言われたことは本当に何でもやった。撮影でも、撮影でなくても、本当に何でもやったのだ。当たり前だが、あまい美人とは言えなかった。そんな彼女と筆者は新宿の小さなバーで飲んでいたのだ。筆者は彼女を撮影で使ったことがなかったので、どうして、彼女とバーにいたのかは分からないのだ。そこは思い出せないのだ。
 彼女は、ホテル代が惜しいなら自分の家に来てくれと筆者に言っていた。別にホテル代は惜しくなかった。ただ、彼女とそうした関係になることには不安があったのだ。そうした女に執着されて困ったことになった男をいくらでも見ていたからだ。そうした女には、男の好みなどないのだ。ようするに筆者でもいいのだ。それだけに危険なのだ。
 彼女は、寂しい、寂しいと、そればかり繰り返していた。その日も撮影があって、何人もの男に抱かれたらしい。それでも、彼女は寂しいと言うのだ。それは恋人のいない寂しさなのかと尋ねたが、彼女は違うと言った。恋人がいても、家族がいても、友達がいても、誰といても寂しいのだと言うのだ。当たり前のように、筆者とそうして飲んでいる間も自分は寂しくて仕方ないのだと言うのだ。その理由は、筆者がどこかに帰るからだと言う。それは帰るだろう。それが嫌だと彼女は言うのだ。次の仕事の現場まで一緒にいて、そこで離れるならいいと言うのだ。そんな無茶があるだろうか。そこまで一緒にいてくれるなら何でもする。ただ、今、お金はない、と、そう言うのだ。エロ本の撮影などというものは、たいてい現金払いなものだ。その日が撮影ならいくばくかのお金は手にしていたはずなのに、すでにないと彼女は言うのだ。
 仕方なく、筆者は、彼女の家まで行った。方南町の家は新宿からタクシーでも数メーターだった。けっこうなマンションに住んでいたし、部屋は意外と綺麗だった。いや、むしろ、綺麗過ぎた。まるでホテル住まいなのだ。こんなことろに帰るのでは筆者でも寂しい、と、そう思った。部屋にはテレビも音楽プレーヤーもない。もちろん、パソコンもない。本さえないのだ。
 男をつくっても、日に日に執着が強くなる自分を恐れて、たいていが逃げてしまうのだと彼女は言った。だから余計に寂しくなるので、もう、男もいらないし、本当の家族さえいらなくなったと彼女は言った。男と暮らしていても、その男がいない間には別の男を部屋に入れるのだそうだ。両親と住んでいた頃にも、同じことをしてしまったらしい。それで男や家族とケンカになるぐらいなら、毎日、毎日、違う男といたほうがいいと思ったらしいのだ。
 実際、それからも、ときどき、彼女から電話があり、筆者は何回かに一回は、新宿で酒を飲んで彼女の家に泊まり、そして、次の日の撮影現場まで送って行った。ただ、筆者は、一度も彼女と身体の関係を持たなかった。ベッドに彼女を寝かせ、インチキ話をして聞かせ、眠るのを待ってノートワープロで自分の仕事をした。
 凍りつきそうなほどの孤独。こんな女の子たちを書くのだ、と、筆者はその時、確かに誓ったのだった。ただ、その彼女からの呼び出しがなくなってしばらくしたら、そんな誓いのことは忘れていた。酷いものである。いい加減なものである。しかし、人間なんてその程度のものなのではないだろうか。
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