mixiユーザー(id:2938771)

2019年07月21日00:24

71 view

混迷の公園にて、その2

 勤勉でないマニアもいないし、無気力なマニアもいない、好奇心のないマニアもいないし、マンネリであることに満足するマニアもいない。マニアとは行き過ぎた好奇心を制御出来なくなった人のことだからなのだ。
 好奇心は妄想に発展する。ゆえに、たいていのマニアはグルメであり、旅好きであり、スポーツ好きなのだ。それは新しい行為に飢えているし、新しい知識に飢えているし、新しい価値観に飢えているからなのだ。
 筆者が「混迷の公園」と、その公園を名付けたのは、もう数十年前のことになる。大学を卒業しても、なお、職業としてのエロ本作りを続けるか、それは趣味として、きちんとした仕事をするかで悩んだとき、その公園で、深夜一時ぐらいから朝の五時ぐらいまで考えていたことがあった。その時に、何かが混迷しているような時には、また、この公園に来ることにしようと決め、ゆえに、混迷の度に来る公園、混迷の公園と名付けたのだ。
 今は無いが、その頃には、まだ、公園に面して大きな町工場があった。工場は長身の大人の背丈ぐらいのブロック塀があり、筆者は子供の頃、その間に落ちていた、いや、置いてあったマニア雑誌を拾っては読んでいたのだ。そこで、異常なのは自分だけではない、この雑誌を作る人たちも異常だし、それをここに捨てる、いや、きちんと置いて行く人も、また、異常なのだと思って安心したのだった。
 筆者は、そんな少年時代の自分を思い出すことで、生涯のエロ本業を決めたのだった。つまり、工場の裏にこっそりとエロ本を捨てた、いや、ひっそりと隠して置いてくれた人に、筆者もなろうと決めたということなのだ。何しろ、その頃には、まだまだ、エロ雑誌は王道に偏っていたからなのだ。SМは普通にあったし、乱交やスワップは流行していた。しかし、性犯罪はマイナーだったし、スカトロジーはほとんどなかった。筆者は覗きや露出や下着泥棒を雑誌で扱いたかった。その人たちが、何を求めてそうした犯罪を繰り返しているのか、どうして止められないのか、その被害者はどう感じているのか、そうしたことの全てを描きたかったのだ。
 あの頃、筆者には、たくさんの人生が用意されていた。世の中はバブルに向かって景気がよくなっていたからだ。筆者と一緒に会社を作った先輩は、筆者の選択を愚か過ぎると怒っいた。しかし、その先輩との仕事は、筆者がやらなくても誰かがやるものだったのだ。ところが、エロ雑誌に、まだ、堂々と扱われていていないところの、いくつかの性癖を扱うのは、もし、筆者がやらなければ、誰もやらないかもしれなかったのだ。実際、筆者が扱えていないところの、いくつかのものは、今も、形になっていない。
 工場の裏に捨てられた、いや、工場の裏に秘蔵されたエロ本を、筆者は今も作りたいままなのだ。数十年前、何もかもを捨ててエロに人生を賭けた、あの瞬間から、筆者の思いは少しも変わっていないのだ。
 しかし、世の中は変わってしまった。もう、この世の中には工場の裏がないのかもしれないのだ。筆者が作りたかったものは、普通のエロ雑誌ではないのだ。工場の裏の置かれるところのエロ雑誌なのだ。工場に裏がなくなったら、もう、それは存在出来ないところの、そんなエロ雑誌なのだ。
 他人の前で堂々とひけらかすような性には興味がないのだ。隠すことを前提として存在しているエロにしか興味がないのだ。
 そんなことを考えていたら、ここ数か月、ずいぶんと通っていて一度も見なかった列車が通過した。子供の頃に見たままの長い長い貨物列車だった。まるで夢でも見ているような気分になった。
 まだ、マニアはいるのではないだろうか。ひっそりと息を潜めて線路の陰に隠れているのではないだろうか。もう深夜には走らせないのかと思っていた貨物列車だって、まだ、ちゃんと走っていたのだから。

0 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年07月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031