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2009年12月05日18:53

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ミラノ・スカラ座 『アイーダ』

先月11/20、NHKの「芸術劇場」で、今年来日したミラノ・スカラ座公演から、『アイーダ』の放映があった。
録画しておいたものを、今頃になってようやく観る事ができた。

まずデータを記しておこう。

演出 フランコ・ゼッフィレッリ
指揮 ダニエル・バレンボイム
演奏 ミラノ・スカラ座管弦楽団
出演
アイーダ ヴィオレータ・ウルマーナ(s)
ラダメス ヨハン・ボータ(t)
アムネリス エカテリーナ・グバノワ(ms)
エジプト王 マルコ・スポッティ(b)
エチオピア王アモナズロ ホアン・ポンス(br)
エジプト祭司長ランフィス ジョルジョ・ジュゼッピーニ(b)

2009年9/6、NHKホールのライブ録画である。

ヴェルディの『アイーダ』については、これ迄R・ウィルソンとフライセル演出のヴィデオを観ている。以下日記参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=371809408&owner_id=3341406
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=796836388&owner_id=3341406

ゼッフィレッリ演出は、このオペラでよく行われるスペクタクルな路線で、コンヴィチュニーのように格別何か斬新という事柄もないので、改めて書く事もない。フライセルの演出もこの路線と原則的には同じオーソドックスなものだった。

ひと言だけ言うなら、華やかな部分とそうでない部分との対比を、明と暗の光の際立った演出でやっていたというところ。

例えば、華やかと言えば、第2幕第2場の凱旋の場面が最たるもので、それに対し、第3幕からは、次第に光はなくなっていく。
第3幕のナイル川のほとり、エチオピア王達囚われ人の場。アモナズロの起死回生の為のアイーダの説得。アイーダもラダメスも引き裂かれる心境を歌う。
第4幕第1場、王宮広間、アムネリスは深い嫉妬の中、しかし、ラダメスを救おうとする。アムネリスの激しく移ろう心境。
同第2場、地下牢と神殿、死に不滅の愛の成就を求めるアイーダとラダメス、その上で2人の死への鎮魂を祈るアムネリス。

第3幕からは、時間と場所の設定も勿論あるが、それ以上に、特に3人の人物の割り切れない心境の変化を追っていく事に焦点を合わせ、舞台の上は殆ど暗闇とし、人物の表情だけが遠いスポットライトで浮かび上がる。これによって、彼等の心境だけが、舞台を観る者に届く、そんな工夫をしていた。まるで、カラヴァッジョの光と闇のようでもある。

ヴェルディは、この劇を単なる記念碑的なスペクタクル・オペラに仕立てようとは思っていなかった筈で、この心理劇的な演出部分は、作曲家の意図に沿っていただろうし、単なるスペクタクル活劇からこのオペラを救い出していた。


私が特筆したいのは、アムネリスを演じたグバノワについてである。
彼女については、2006年”東京オペラの森”の企画でのヴェルディの『レクイエム』の代役デビューで偶々知り、能力を垣間見たのだが、今年のミラノ・スカラ座の同曲公演でも同役を歌い、一層力を付けているのを確認した。
(2度の『レクイエム』については以下参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=114494477&owner_id=3341406
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1297935541&owner_id=3341406)

そして、純音楽表現だけでなく、総合芸術たるオペラの世界でも、今回初めて彼女の成長と実力を知り、嬉しく思ったのだ。ムーティやバレンボイムが彼女を買っているのは、当然とも思えた。
上にも書いた4幕1場での、アムネリスの心理の複雑な動きが、手に取るように観えたのには、驚きまた深く感動して、瞼の内の熱くなるのを覚えた。
派手さや華やかさには欠けるが、人間の内部表現という面で、きっと更に活躍の場を拡げるメゾになっていくに違いない。
 
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