mixiユーザー(id:3341406)

2007年03月12日22:52

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オペラ『アイーダ』

オペラ『アイーダ』をDVDで観た。
これもマイmixi macchaさんから拝借したもの。
2004年のベルギー王立モネ劇場のライブ録画である。
イタリア語、4幕、全2時間33分。

作曲 ジュゼッペ・ベルディ
台本 カミュ・デュ・ロークル/アントニオ・ギスランツォーニ

指揮 大野和士
演奏 ベルギー王立劇場交響楽団
演出 ロバート・ウィルソン

ソロ
ノルマ・ファンティーニ(sp)/アイーダ
マルコ・ベルティ(tn)/ラダメス
イルディコ・コムロシ(ms)/アムネリス
マース・ドス(br)/アモナスロ

演出の新しさに目を惹かれた。
手と腕の動き、恐らく指先迄R・ウィルソンがコントロールしているのだろう。
自由な動き、これみよがしのオペラチックなオーバーアクションは全くなし。
決められた‘型’の不連続な連続。
上半身は固定したまま。長いドレスの下の足の運びを見てみたい思いに駆られた。
この手、腕の型、上下動しない上半身を見て、すぐにイメージしたのは、日本の「能」である。

バレーの場面では、後方に歌手、合唱全員がいて、彼等はそこにいるだけなのだが、全員がある型のまま微動だにしない。
これは疲れるだろう。オペラ歌手がこういう体力の使い方をするのは、彼等自身ない経験だったに違いない。

疲労についてはともかく、この動きに新鮮さが感じられ、オペラとして新しい感動を呼んだ。
そして、この動きは、実は情動の過多を規制する効果もあり、ロマン期オペラにある、甘ったるさやセンティメンタルの過剰、そういった‘だぶつき'を全く許していない。

個人的でない、トータルな構成や通底するものから来るダイナミックな情感を大事にしているのだろう。
各場毎の背景や光の扱いの抽象絵画のような動き、これらが、それを更に助長して、劇に静かでいて大きな‘うねり’のようなものを作り出していた。
ちなみに、装置も照明もR・ウィルソンである。

今日本人で最も活躍が期待される大野和士の指揮は、明確で濁りや迷いがない。そして、流される事がなく、で且つ品がある。
この音楽作りは、R・ウィルソンの演出と相俟って、新しい悲劇を構築していたように思う。

ソリストでは、主役の2人に対して嫌われ役となるアムネリス(エジプト王女)をやっていた、メゾソプラノのイルディコ・コムロシが素晴らしかった。
彼女の深い懊悩と葛藤が、この新たな悲劇の中心となっていたように思えた。
 
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