人々のmixi離れが顕著である。かつてあれほど華やかに交流がなされたこの場も、もはや人々が去った後の街を思はせる。この頃さういふ映画ばかり見てゐるので、なをさらそのやうに思ふ。どうせ過疎ならばヤバいこともいっぱい書こう、とは思ったが、よぅ考へれ
私は広島県西部のち〜〜さな町で生まれ、18歳までそこで育った。私が二十歳すぎた頃、市政が制定され、それまで「町」であったそこは「市」となった。工場にへばりつくやうに展開されてゐた町は、割と洗練された文化的な住宅街として生まれ変わったやうだ。ま
ここ数十年でニッチを激変された食べ物、と云へば「駅弁」と「牛丼」だと思ふ。駅弁、なんぞ、一昔前は「高くてマズイ食べ物」の代表だった。移動する電車の中で、他に選択肢がなかったとは云へ、こげなペラッペラのサンドイッチや適当な幕内弁当に、何が悲し
朝、だいたぃ7時くらいに起きる。てゆーか、目が覚める。年寄りなのだ。で、寝床から起き上がるとまづ目に入るのは、本棚と、その前にづらーっと並んだベースとギター。ギターは一本だけだが、ベースは(いま)5本並んでゐる。その全部がフレットレスである。
極端な思想を持ち、極端な発言をし、共感者には無上の敬意と親愛の情を示し、さうでない者には鋭利な言葉で批判する、といふタイプの人がゐる。どんな思想を持ち、どんな発言をしやうが自由だ。SNSは本来そのやうな場所ではないハズだが、そのやうに使う事適
職業柄、メシの時間がバラバラ、といふよりは一般の方々とズレてゐる。この業界の人間には、朝飯を食わぬ、といふ人が大多数であるが、私は朝が一番食べる。食事の割合でいふと、朝5、昼2、夜3くらいか・・?昼は抜くことも多い。で、この割と三食しっかり
他者に対する興味が希薄だ、と云はれてゐる。幼少期、通信簿に『子供にしては我関せず過ぎる』と書かれたらしい(母談)。例えば友達が喧嘩してゐても黙って見てゐる、といふ子供だったやうだ。思へばさうだ。今も昔も、人がやってることより、自分がやること
目下の悩みは、5月以来続いてゐる難聴と耳鳴りである。一ヶ月の通院治療をしたにも関わらず、あまり劇的な改善をせぬまま、今に至ってゐる。ストレス、だといふ。「貴様のやうな呑気な暮らしをしてゐて何がストレスか?!」と云はれさうだが、私にもストレス
「フィルム・マラソン」といふイベントをご存知であらうか?。こは、映画館が企画するもので、あるテーマに沿ってセレクトされた4〜5本の映画を、深夜から朝にかけて立て続けに上映す、といふもので、私が20代の始め頃はどこの街の映画館でもやってゐた。確
友ができる。きっかけはなんであれ、人と人が意気投合し、友となる。それが複数となれば、仲間ができる。その楽しさと充実さがピークの時期、そは永遠に続くやうに思ふ。この友情は本物で、永遠の仲間だ、と思ふ。だが、残念ながら、さうではない。「夏」の時
親しい人の訃報が続いてゐる。世代的には、まぁ、意外、とは云へない逝去ではあるのだが、それでもまた生き永らえて会える日を漠然と思ひ描いてゐた人たちばかりだ。悲しい。切ない。そしていつかは自分もそこに加わるのだ、と思ふと、死ぬといふ事とはなにか