田や畑の近くに、おそらくは農機具やその他あれこれをしまっておく為であらう小屋=納屋があることが多い。幼い頃は、あそこに人が住んでゐるのだ、と思ってゐた。なかでもよく憶えてゐるのが、ウチの近所にあった段々畑の光景。夕刻にその辺を通りがかると、
よく夢を見る方である。「希望」=hopeとしての夢ではなく、dream・・・実際に寝てゐる時に脳みそが描く幻想の夢だ。まぁ、日中も空想癖があるのだが・・・。夢はオモロい。夢の中で、「あ、これは夢だ」と気付くときもあるし、「夢ではないよな?」と思ふこ
昔は甲殻類アレルギーだった。気づいたのは二十歳の誕生日で、その日久しぶりに実家に帰ったワシを、親父が「成人祝い」といふ事で、差し向かいで飲もう、とデカいカニを一匹用意してくれた。お湯割の焼酎を飲みながら、一匹を平らげたその夜。かゆみで目が覚
映画「ボヘミアンラプソディ」が話題だ。クゥイーンのライヴにおいて、アリーナを埋め尽くす観客の大合唱がフレディの歌声を後押しす、といふのは有名な話だ。政治的思想や啓蒙の色のないクゥイーンといふインテリ集団のバンドが「我らこそチャンピオン」と高
本来、遠方の友の息災など、知れるはずがなかった。筆まめな人物であらば、季節おりの手紙のやり取りなんぞあるやもしれぬが、多くの場合、せいぜいが年賀状、それもなき場合、下手をすると訃報をもらうまで、その所在すら分からぬ、といふのが普通であったの
若い身空のもの、なら分からんでもないが、もぅ「晩年」に差し掛かり、人生の程身もだぃたぃ味わってきたであらう人が、自己啓発系や接触商売の類に手を出してしまふ、といふ事例が増えた。虚しさを感じてしまふのはワシだけだらうか?。かつて共に夢を追い、
たとえば5ツの出演者(バンド)のあるイベントがあったりす。この5ツの全部が、まづ『盛り上がってますかー!?』とやる。んで、コール&レスポンスを要求する。これを都合5回、見せられる。ウンザリす。お前ら、他のやり方を知らんのか?といふのも、さう
家の中に、屋根があって壁がない場所、があるのが好きなやうだ。むか〜〜しの農家などに、よくかういふ場所があった。多くは、家の増築した部分と、もとの部分が接するところを、簡易的な屋根でつなげて「土間」として利用する、といふニッチだったやうに思ふ
ハロウィンの狂乱・・・渋谷の悲惨な光景が、TVといふメディアを持たぬワシのところにまで流れてくる。まぁサッカーのナニかや、野球のナニかでもさうだったやうだが、かういふものに便乗し、乱痴気騒ぎを起こし、狼藉を働くものどもを、本当に、心の底から、
肌寒い日が増えてくるこの季節が好きである。自分の誕生日あたりを境に、なんとなく季節が変わるかんぢが、いとをかし。祭りの多い季節でもあり、しめ縄が町々に結界を作り、幟が建てられ、秋風に揺れる様も また。古来、この時期の祭りは「収穫祭」であり、
ちょいと前から「茶道」なんぞを学んでみたい、と思ってゐる。茶道幼稚園に通ってゐた頃、園長殿が茶道に秀でた方であったらしく、何度か茶室に招かれた事がある。老人の特徴でワシもまた、そんな遥か太古のことを、昨日のやうに覚えてゐたりす。ゆんべの飯も
誕生日に運転免許証の更新に行って来た。一昔前は「期限の誕生日に更新」といふはイクォール更新に間に合わぬ、といふ事だったのだが、最近は更新期限が延びたのでこのやうなことにちなみにかう見えて黄金免許である。免許証と云へば写真である。パスポートと
年齢的には充分「おぢさん」である。心が稚拙なので見た目は若いやうだが、これでしっかり半世紀以上生きてしまってゐる。本当は「おぢさん」と呼ばれてもおかしくない。だが、子供と接する機会があまりない(避ける)ので、人からおぢちゃんとかおぢさん、と
街を往けば、ラーメン屋ばかりである。かつては食堂のいちメニゥに過ぎなかった食べ物なのに、いつからラーメンはここまで文化の中枢に侵食して来たものか。ワシはあまりラーメンに固執して居らず、それよりも焼きそばだとかパスタだとか、さういふ「汁のない
たまには音楽家らしい話でも一般に、吝嗇で、細かい事に全然こだわってない風に見えるさうだが、まさにその通りで、そは機材などにも現れ、ワシは細かいことがあまり良くわからぬ。ミュージシャンの中には、楽器はもちろん、使用する機材にもこだわりぬき、1
女にモテたくてバンドを始めた、といふ人が、なんか知らんいつの間にかえらいポリティカルなことを云ふやうになってゐる。かつて食堂の凡百のメニゥの一つに過ぎなかった「ラーメン」が、いつの間にか賢しらに人生や宇宙を語ったりするやうになった経緯に似て
北海道ツアーより帰還セリ。「北海道の夏はお盆まで」といふ諺があるといふ。それを鑑みて、今回8月末から9月頭にかけての北海道行、どのやうな装備で行くか迷った。よぅは防寒だ。よく云はれるのは「厚着は脱げば良いが薄着は死に至る」といふ旅の鉄則。都市
「ちぃさな庭付きの家を持ちたい」とまぁ、市井の人々のささやかな夢のやうに語られる。ワシは違う。大きな庭、が欲しい。家はちぃさくて良い。100坪くらいの庭に、台所と寝室だけの掘っ建て小屋を建てるのが良い。いや、家は要らん。100坪くらいの庭に、日々
こないだ久しぶりに海で泳いだ。海で泳いだのは去年もたった一度きりで、まぁ同じ場所に今年も行って、また泳いだ、といふだけの事なのだが・・。海だけではなく、この処 とンと、泳ぐ機会がない。かつては唯一得意なスポーッで、市井のジムのプール会員だっ
夏なのでホラー話を。以前ちょこっとだけ触れた、昔住んでた家の不思議で不気味な出来事につひて。今までかういふ場で語ったことはないが、よぅやく書いてみやうと思ふ。小4くらいから中2までにかけて住んでゐた古い社宅の話。それまで住んでゐたのも同じ社
夏がく〜れば 思ひ出す〜高校生とか中学生とか、あの時代、40日もの「休み」を、どのやうにして過ごしてゐたのか?を不思議に思ふ。中学生ん時の夏休みは、8月末に行われる吹奏楽コンクールの追い込み、であり、まぁ1日じゅうブンガブンガ演ってゐたの
こないだながいながい電車の旅をした。あるところで少女が乗って来て、ワシの前に座った。ちょいとオサレなベベを着て、今風の失敗メイクをしてゐる。その少女はやおらコンビニのおにぎりを鞄から取り出し、むさむさと喰ひ始めた。もちろん片手は休む事なくス
若い頃はどこに行くにも「雪駄」か「下駄」であった。今ほど、さういふ「野暮なオサレ」が認知されておらぬ時代だったので、周囲からはホンマに変人扱いされてゐた。幼少期に、扁平足を下駄で治した経緯があり、以来、下駄には絶大な信頼を置いてゐるのだ。雪
浮世離れした人間に見えるらしい。『何やって暮らしてるんですか?』と訊かれるのも、そのせいだらう。金を持ってるやうにはぜんぜん見えないが、貧窮してゐるやうにも思へず、襤褸を身にまとってはゐるが、楽器も車も、もちろんMACも持ってゐる。猛暑の中を
検索に「ウェストポーチ」と入れると、「ダサい」といふ予測ワードが出るほどに、ウェストポーチは市民権を失ってしまった。だが、かつてはそれこそ猫も杓子も腰にこれをブラ下げてゐた。ワシは一時期バイトをしてゐたTV局の若いキャメラマンが、これから色々
不正アクセス、アカウント乗っ取り、が横行し、ますます皆がmixiから離れたやうに思ふ。訪れるまろうどの数も減り、日記を読む人の数も減った。徐々に人から忘れ去られ、山奥で静かに朽ち果ててゆく、古い神々の寺院、のやうだ。人も通わぬ急峻な山の中にも、
映画のカテゴリィに「サメ映画」といふものがある。こ れ が単なるサメが人を喰ふ話、ならまだ良いのだが、それ以外の話の荒唐無稽さが、もぅ完全にイッてしまってゐる。映像もシャレてるのが多いぞ。昨今、コムピュータ・グラフィクスの発展のおかげで「撮
ちょっと自慢するが、ネーミングのセンスをよく評価される。ポっと思ひ着いたイベントのコピーやネーミングが採用されるケースは多く、バンド仲間から重宝されることがある。俳句をやってゐた、といふ事もあるのでね。短い言葉でナニかを表現す、といふは文学
7月になった。いつのまに、といふ感ひとしを、である。こないだ年が明けて、よし、と思ったやうな気もす。思へばこんなかんぢばかりの近年である。ナニかが進展してゐるのだらうか?の思ひは強い。進展してゐるとすれば、そは「老い」だけではないのか?、と
酒を飲むとその人の本性が出る、といふ。この話の信憑性はわからぬが、確かに酒が入るとえらく性格が変わる人がゐる。まぁ絶対に勘弁して欲しいのは「酒乱」だが、泣く人、笑う人、助平になる人、様々だ。本性、かどーかはわからんが、まぁその人の一面である